実   家

2020年7月 6日 (月)

混 乱 のなかで、

私、現在、話すも書くも、文章を組み立てられなくて、ヘンテコな近況をば。。。雑レポートみたいになるかも。すんません。

①ある日 

「あんしんサポート*」からTEL。「お母さん(老母)が家の前(坂)で転倒されました。怪我はないようですのでとりあえずベッドまでお運びしました。119しなくてもいいでしょうか?」と。明朝そちら(実家)へ行きますので、夜はまた母からの要請もあるかもしれませんが、様子をみるということでお願いします、と電話をきった。

  *「あんしんサポート」・・・一人暮らしの老人が緊急ブザーを首にかけておいて、助けを求めたい時にブザーを押すと、何分か後に家まで来てくれる仕組み。ケアマネを通して申請・契約。

②次の日

実家へ行くと、老母はいつものように座って待っていた。老母を連れて、念のためかかりつけの整形外科へ。異常なし。それよりも足のムクミが気になるのでちゃんと薬を飲めるようにして下さいと。

11種類の薬を7回に分け、それぞれの回に違う組み合わせの薬を飲む、なんてことはもう老母にはできなくなっていた。表も読めなくなっているのでお薬カレンダー不可。7回の飲むタイミングごとに薬を1回分ずつに分けて7袋に入れておくが、言葉をつくせばつくすほど、老母のアタマ混乱。難聴の老母へ説明する私も疲れて混乱。

その日は、有料老人ホームへ見学の予約を入れていた。「最近ようこけるねん」との老母のつぶやきに「いっぺん見に行ってみる?」と聞くと「うん」と即答したのが、一週間前。気持ちが変わらないうちにとその場で予約したのだった。(パンフレットは取り寄せていた。)

整形で異常なしだったので、予定どおり2人で見学へ。予想外に老母はそのホームが気に入り「ここやったら住んでもいい♪」と。即、入居申請。空室待ち。帰りの老母はとても機嫌よく、アイスクリーム買うて帰ろうと久々の笑顔。老母の同意を得たことで安心して、私も自宅へ。

その晩21時頃、また「あんしんサポート」よりTEL。台所で転倒。本人の希望で119。私も搬送先の病院へ22時半頃着。「異常ないので帰ってください」ということになったのがもう日が変わりそうな時。
老母「今から帰すんかぁぁ。もう動けへんし、帰れへん~~。」実際、立ち上がれなかった。このまま一旦帰宅したとして、明日にでもまたこの病院へ搬送される可能性もあると思い、私からもお願いして経過観察入院

③3日目。

寝不足のまま実家へ行き、サポートパンツや薬やらをかき集め、病院へ。その時の看護師から「退院のことなど詳しくはまた病院から連絡します」と。昨夜と違う人達なので、会う人ごとに一から説明し続けた。
一旦帰り、ケアマネに連絡するも在宅勤務で直接の話できず。電話に出た方に一から説明し、今後のことを早急に相談したいなど伝える。念のため、デイケアセンターにもTELにてまた一から説明。

その後、病院・居宅介護事業所にTELするたび違う方が出られ、そのたび一から説明し、だれにどこまで伝えたのかわからなくなった。

特に、病院との連絡はうまくいかず、ついには疑われたのか「お母さんの生年月日を言ってみて下さい」だの「ご本人に確認してもいいですか」だの「もうさっき電話を受けた者からは返事すんでるそうです」だの。

老母は「なんで入院させた!みんなで私をだまそうとしてる!」等々。

病院や事業所との連絡状況、なにより私が混乱した状況で、どの段階で弟に連絡すれば、よりスムーズにコトが進むだろう。

弟のことに頭がおよぶと、いまだにフラッシュバックして動悸が止まらなくなる。息が苦しくなる。
弟の、救急搬送時の獣のような叫びや幾度となく繰り返された病院脱走。余命宣告された父の泣き顔。弟の汚れモノを洗濯しては病院へ通った母が最後に骨折入院したときの「ごめんな」という声。も一度働きたいと戻った学校で、仕事終了後(20時頃だったか)にあけたケータイへの病院・警察・弟職場からの受信記録の数々! 子ども達や保護者の方々や職員の方々の声と顔。数年後の父葬式のときの、弟の言動。そんなことが一気におしよせてくる。

さて、

ケアマネは、私の伝言を受けてすぐさま動いてくださり、老母はとりあえずショートステイへ入所
老母「ああああぁぁぁ~~~。もういややぁ~。」と、職員を蹴ったり。混乱。

老人ホーム~病院~ショートステイ。たくさんの書類を読み、書きこみ、判を押した。持っていくもの、持って帰るもの。そのうち薬もなくなり、とりあえずはかかりつけ医まで薬をもらいに行き、また説明しなおし。。。。

とまあ、こんな状況です。

眠たいのに眠れず、アタマがぎゅーーっと詰まっている。ずーっとどこか別の場所で生きてる気がします。

と、いつもながら、自分のことを書き出してもなんにもならないとわかっているのに書いてしまう。これは私の弱さです。はしょって読んでくだされば、それでとてもありがたい。

そんななかでひとつ。いいことも、ありました (^_^)

こんな混乱のなか、私を見つけてくれた人がいました。
病院で。ひとりの先生(医師)から「先生!」と呼び止められました。老母とは違う科の先生だったのですが。「先生!おぼえてます?わかります?僕はすぐにわかりましたよ。」と。

初めて担任したクラスの教え子でした。医師になっていたのですね。私には子どもの頃の顔姿の記憶しかないけれど、子ども達にとっては私は同じ大人、のようです。マスクをしているので、よけいに私は名札を見るまでは気づかなかったのに。

本当に、うれしかった! 経験少なく必死で対することしかできなかった私なのに、覚えていてくれた。見つけてくれた。声かけてくれた。有難い!
老母のおかげで、いいこと、ありました。

 

2020年5月30日 (土)

電気屋さん事件

実家近くの電気店から電話がかかってきました。両親がいつも電化製品を注文していた‘町の電気屋さん’です。

「こないだからな、あんたのお母さん(老母)から夜となく昼となく電話がかかってきてるんやけど、」

え”っ! なにでです?

「テレビのリモコンが動かへん、テレビがつかへん、直しに来て、言うてな。」

いつからです?

「日曜日やったわ。」

日曜日、私、実家に行ってましたよ。昼前から3時ぐらいまで。

「あ~~、そのあたりは、かかってきいひんかったわ。」

いやいや。テレビ、映ってましたけど。

「そ~かぁ。でな、うち、日曜日は休ましてもろてるし、かかってくるたび、明日まで待ってなって言うて電話をきるんやけど、またかかってきててんわ、電話。」

すみません。全然知らなくて。。

「ほんで、次の月曜日の朝に電話がかかってきたから、見に行ったんやわ。リモコンの、ちがうとこを押してて映らへんかったみたい。で、店に帰ってしばらくしたら、また、電話かかってくるねん、テレビ映らへん、て。それで4回、行ったり来たりしたんやけど、、、、」

す、すみません。。。。

「うちもな、他のお客さんのとこにも行きたいしな、ちょっと最近は、お母さん(老母)から電話かかってきてもスルーさしてもろたりしてるんや。ほんまに、昔からいっぱい買うてもろたお得意さんやし、心苦しいねんけどな。」

はい! 無視していただいていいです。こちらこそ、お忙しいのに、すみません。。。。 

実家の電話横には、その店の『なんでもご相談ください。お困りごとがあったらお電話ください』という手書きメモが貼ってある。今までも、新しい洗濯機の使い方など、教えに来ていただいたりしたよう。

けれど今回は、これは、びっくりです。(;゚Д゚)
いくら『なんでもご相談ください。お困りごとがあったらお電話ください』であっても、これだけの電話攻撃は非常識だし迷惑だという判断ができなくなっているのだと、焦りました💦 電気屋さんからの電話は夜だったので、いろいろ考えて、眠れませんでした。

コロナで外出機会が減ったことと、歩行機能が一気に衰えてきていることで、家の中でテレビを見てる時間がほとんどなのだろう。だけども、私が外に連れ出したら「よけいに歩けへんようになったわ!」なんていう言葉がまた返ってくるだろうし。そもそも、ほんまに、リモコン操作もできひんようになったんやろか。。。

老母が、家族でない誰かと会う機会を増やさないといけない。テレビ時間を減らさないといけない。

ケアマネさんと相談。ケアマネさんから、デイケアセンター(リハビリ&整形外科&内科&昼食&入浴)の利用時間を増やす提案をしてもらうことにしました。今や、私から言うと逆効果になることは目に見えているんです。上手に言うていただき、すぐに決定。さすがはプロですね。そこでの入浴は、まだ抵抗していますが。

それと、一応、脳神経MRIなど検査をしてもらうべく、大きな病院へ予約を入れてもらいました。
が、混んでいるようで(コロナも関係しているのか、緊急ではないという主治医の判断なのか)、検査はお盆過ぎ! 
あちゃーーー。

認知機能が低下していることは、素人の私でもわかるのですが、どんな具合なのか。異常はなくて、ただ、自分の生活の面白みのなさ・身体の不便さからくる周りへの芝居だったのだとわかるだけなのだとしても、それならそれで私の中での心構えや対処の仕方が変わってくるのかもしれない、と。認知症だとしても、施設への入居待ちが多いのだそうですね。

けっこう、勉強させてもらいました。

しかし、

それまでに、また事件が起こったらどうする? 弟に知らせたり相談しても、よけいにややこしくなるのだろうし。。。
とまた眠れない。飲んでも酔わないのに動悸はおさまらない夜の連続。夜明け前に頭と目が覚めてしまう朝の連続。

一応、民間介護施設の資料も取り寄せてみました。

そんなこんなの、コロナの日々。
今年の4月5月は長かった~~~~~。(>_<)

 

2020年5月16日 (土)

💔 心臓は早いえ (;゚Д゚)!?

老母を見に行った折、実家近所のおばちゃんに会いました。彼女は、老母と親しく、また弟の同級生の母でもあります。なので、私をも、小さい頃から知ってもらっている方です。老母よりちょっと若いかな。

「どうぇ? 最近、お母さん。」
んんん~~~。(^-^;
「こないだ見かけたら、えらい痩せたはってびっくりしたわ。背中も曲がって、よろよろしたはったけど、大丈夫?」
んんん~~~。たいへんです。。。(^-^;
「タイヘンか?👀」
歩けへん、言うて晩にあちこちケータイで電話したり。弟が慌てて私に電話し続けたり。その晩、私は、母と弟を電話口で落ち着かせて。。次の日はケアマネさんに報告・相談したり、車で様子を見に来たり。。。。
「そら大変や!けど、まだケータイは使えるんや。」
それが、ケータイわからん!言うてたんですけどねぇ。
「まぁ、あんたに頼ったはるんやし、頑張ったげぇな。」
うんん。。。それが私も、ここんとこ動悸やら不整脈やら高血圧やらで、自分の身体も守りたいし~。心臓の精密検査も勧められてるんですぅ。

そら大変やな、自分の身体も大事やもんな、という言葉を期待していたら、
「心臓か?!心臓は、早いでぇ!すぐ死ぬえ。」


だから私もあんまり無理できひんのです、と言えばよかったのですが、咄嗟に思い浮かばず出てこず。不思議な間。

「まあここはな、こうやって娘が来てくれるし、ええわ。私なんか、今ひとりで整形(外科)に行ってきたんぇ。」
? 
たしかこの方、隣に息子(弟の同級生)家族が住んでられたような、とか、杖もなしに自分で通院してこられたんだ、とか思ったのですが、それには触れないことにして、

私も腰がヘルニアなんですけどね、腰より今も動悸が、
「心臓か?!心臓は、早いでぇ!すぐ死ぬえ。」

ん?

母と弟と、ふたり分なかんじ。この状況、6年前から続いてる気ぃしてます。もうしんどい。
「まぁ、がんばったげぇな。」

がんばれる範囲でがんばります。
と言うと、おばちゃんは不服そうでしたけど、もう私自身のことを伝えるのはやめときました。
すぐ死ぬぇ!も、かなりなインパクトで心臓にきてましたので。(^-^;
おばちゃんも、歳とらはったな。

立ち話が終わって家に入ると、老母が言うのに
「あんた今、車の中から、家の中の電気(電灯)、消したやろ。もいっかい車に入って、電気つけてくれへん?」

ああしんど。
この段階でしんどいと言うのは、私が弱い?ゼイタク?あまい? 
コロナのことをも頭から消えてしまう時が多々あったこの数週間でした。

 

2020年5月 7日 (木)

GW 泣きべそ作戦

 

「ケータイデンワの使い方が、わからんよ~になったぁ~😖」

と泣きべそをかいた老母。

 

自分は使い方がわからんでも、いざという時、周りの人が連絡してくれはるやろうから、お守りと思って持っときや。

「でも、要るときもあるや~ん💧」

「ケータイを持って行くの忘れたらど~しよ~💧」

「いざという時、周りにだれも居はらへんかったらお守りにならへん💧」

といつまでも何度もグダグダメソメソし続ける難聴の老母に、10分ほどかけて大声で説明したのはひと月ほど前。

 

私は、この‘泣きべそ作戦’が大嫌いだ。すすり泣いて小さい声で訴え、目の前の人間の感情に訴える。自分に注意を向けようとする。子どもでも嫌なのに、自分の老母となるとなおさらハラが立つ 💢 ハラが立つと、いつもの動悸がひどくなる。バクバク。

で、このGWの初め。
車🚙と レンタルした車椅子♿で、老母と、実家近くの公園へ行った。祝日はデイケアが休みになるということもある。運動不足解消と気分転換になるかなとも思い、家の外へと誘った。
ちょっと車いすから降りて、5・6歩でも歩いたら?、と言うと
「ただ歩くのはコワイ。あの柵につかまりながら歩くっ。」
と数メートル歩いた。気分よさそうに歩いているように、見えた。外の空気を感じながら歩けてよかったと帰宅すると、

「うわ、こんなん初めてや。 足が急に動かへんようになってきた。どうやって足を動かしたらええかわからへん~💧」

良かれと思って、外に誘ったあげくが、この言葉かい💢泣きべそ作戦かい💢。なにが不満やった?!
こっちは、腰痛を気にしながら車椅子♿を車🚙に乗せたり降ろしたりしたんやのに!

と私も、自宅の大掃除はしてるのに、こんな時は腰痛を理由にハラをたててしまう。そんな自分にも、💢。動悸。バクバク。

 

 

GW半ば。夜。
さあ晩御飯🍻と風呂からあがると、老母からスマホに着信有。なんやろう。

「あんなぁぁ~~。歩けへんねん。電話機まで歩けへんから、ケータイでかけてるねん~~~。〇〇先生(老母のかかりつけ医)に電話しても、何回も電話しても出はらへんね~ん。◎◎(弟)に電話したらな、今から行くって言うんやけど歩いてくるからな、いまから何分もかかるね~~ん💧」

と、泣き声。弱々しい声だけども、けっこうたくさんしゃべるから、さてはこれもいつもの泣きべそ作戦か? 第一、ケータイの使い方は、わからないようになってたんじゃないのかっ? 使い方がわからないのに、私と弟と主治医にケータイから電話したわけだ。

私が車でそっちに行くより◎◎が行くほうが早いから、そのまま待っとき。
「でもなぁぁぁ、あるけへんねん~~~💧」
◎◎が来たら、トイレとベッドに連れていってもらうんやで。
「トイレはさっき行ってん~。ベッドに入っても寝られへんね~~~ん。胸も苦しいねぇぇん💧」
明日の朝、私も行くから、寝られなくてもベッドにいるようにと言ってなんとか電話を終えると、弟から何度も着信が入っていた。

弟は高次脳機能障害である。TPOや相手の心への想像ができず、言葉の選択もヘン。自身は「ワタシはフツーです」と言う。弟と話すときも、私の心臓がバクバクになる。あの頃がフラッシュバックしてきて、アタマがギューッと締まる。接点を減らしたいのだけれど、あまりにも多くの着信なので電話することに。

電話がつながったとたん、
「アネは、今、何が起こっているのか、わかっていますかっ?!」

私に向かって私をアネと呼ぶこと自体、フツーじゃないとわかってないのに、どうやって話を進めればいい? それにこのエラそうな言い方。心臓バクバク。

「救急車は、よばんでもええんですか!」
ええよ。バクバク。
「歩けへんて言うてるんですよ!」
これまた10分ほどかけて、弟に、実家に着いたら老母にトイレとベッドに行かせるように伝えた。

 

電話を切ったら私も不安になってきた。

母のかかりつけ医に電話しても、出ない。留守電を入れる。バクバク。

 

ケアマネさんに電話してみた。出ていただけた。

「今晩のところはその対応でいいと思いますよ。明日、私も行きますね。」
と言っていただきちょっと安心。

 

その晩は私も眠れず、朝、実家へ🚙。

留守だった。

GWとはいえ、その日は祝日ではなかったので、デイケアへ行っていた。弟は一緒について行き、その後、自分のマンションへ帰宅したとのこと。ケアマネさんからデイケアセンターにも連絡していただいてたようで、昼頃、老母を送ってくださったデイケアセンターの方が
「今日も、いつもと同じように笑顔で穏やかにリハビリされておられましたけれども。。。。」
と苦笑い。安心と同時にまた💢。バクバク。

昼過ぎ、ケアマネさんも来てくださり、老母の話を笑顔で聞いてくださった。ほんとうに、ありがたい存在だ。
で、老母が最後に言ったのは、
「もう早う死にたいわ。」
死にたいならなんで夜に使えないハズのケータイで助けを求めたーーーーー!この1日であなたのためにたくさんの人が心と体と時間をつかったというのに!

この後、音沙汰無しのかかりつけ医に行って処方箋をもらい、GW中の老母の薬を買った。弟にも、老母の前でTEL報告。

夕方遅くの帰り道。
疲れて、なにも考えられない状態で運転していると、前の車が他府県NO。
えーーーっ、まだ他府県から来てるんかーー! でも商用なのかもしれへんし、、、と、ぼんやり前の車を見ていると、後部座席でピョンピョンとびはねてる子どものかげ。

ムッカーーー💢 三密やなかったらええんかー!感染したりされたりしなければ、遠出してええんかーーーーっ!医療や介護や運輸の人達はタイヘンな思いで働いてるのに、ええんかーーーー💢 

と、自分も医療介護運輸じゃないくせに、なぜか支離滅裂に無性に腹立たしく思ってしまった。私は一緒に暮らして介護してるわけでもないのに。ただ老母にふり回されただけで、助けてくれる人もいる。なのにこんなに疲れて実は取り乱していた自分にハラが立つ。バクバク。

つかれたーーーーー!!!

が、ブログで「バクバク」を訴えてる私。バクバク作戦だな。ブログでこんなのは大嫌いだと不快な人もいるだろな。

 

さて、

今日も実家だGO--👊

 

 

 

 

 

2020年4月 4日 (土)

🚙 桜見ドライブ🚙

 

冬の間にもう外へ出られなくなった母に、目から刺激(?)を入れようと、母&車椅子♿を乗せて桜見に行きました🚙。

桜のきれいなところまで車で行き、母の乗る車椅子を押して歩こうと、車椅子♿はケアマネさん紹介の店でレンタル。で、車椅子♿初心者の私、 🚙運転して初めて初めて気づいたこと。駐車場Pが、車椅子♿を押して桜を見ることのできる場所になければ、車椅子♿を押しての花見はできないのだということ。あちゃーー。(>_<)

使ってみて初めて気づくこと、たくさんあるのですねぇ。
例えば、車椅子♿が常設されている施設(お墓や小さな展示場など)でも、トイレの出入り口の幅が車椅子♿の幅ギリギリだと、直角にうまく入れなければトイレに入れないだとか。通路が狭いと、点字ブロックが通路の幅いっぱいにあって、車椅子♿はガタガタ揺れてしまう、とか。視覚不自由な方にとっては必要な点字ブロックが、身体不自由な者にとっては障害となってしまいました。あと、重みですぐに閉じるようになってる扉。押し手である私が背中で扉を開け止めてバックで出ようとすると、車椅子♿が出たとたんに閉まる扉が老母の足にぶつかるとか。
不自由への配慮が中途半端になってしまっているところがあるのだということ。予算の関係もあるのでしょうが、これは企画設置した人が不自由じゃないからなんでしょうね。私も、使ってみて初めて気がついたというしだいでして。。。。

おっと、話をもとにもどしましょう。

積みこんだ車椅子♿を使える花見どころをさがしているうちに、背中の曲がった老母が疲れてしまうだろうと、車椅子♿での花見はあきらめました。🚙車内からながめる桜を楽しんでもらおう。ずっと家に居るよりずっといい。

去年までは、敬老乗車証をつかって自分でバスに乗り、車窓から桜を楽しんでいたみたいですけど、もう敬老乗車証も老母には役に立たなくなってしまいました。私も75歳になったら、この敬老乗車証を使おう、老人の特権だーーと思っているのですが、せっかくの敬老乗車証を使う期間もそんなに長くないのですねぇ。

おっとおっと、こんどこそ話をもとにもどしましょうぞ。

老母が靴を履き、玄関前に横づけにした🚙に乗り込むまで約15分。待ちました。本人が自分でやりたいと言っているということもあり、私は、手伝いません。(時間に余裕があるというのはいいことだ!)重心が傾いて体勢を自力でもどせない時だけ手をそえました。
「あぶないなー!そんなやりかたしたら倒れる!」
との文句付💢でしたけど "(-""-)" 。

長時間🚙だと疲労すると思い、往復1時間と決めました。
「30分経ったら、引き返すで」と。
伏見から丸太町あたりまで、疎水沿い、鴨川沿いを。老木に花咲かせているお宅もあり、それらを眺めながらのドライブ。

桜には不思議な力がありますね。息をのむようなオーラが、車の中にいる私達にもふわぁっとかぶさってきます。移っていく景色に目をうばわれるのか、老母からの毒あるようなイラつくような言葉は出ませんでした。私の心も、桜に癒されていましたし。

「こんなとこにも桜の木があったんやなぁ。」
「こんなにたくさん桜の木があったら、今はきれいやけどな。花が終わったら、毛虫がタイヘンやでぇ。」
「並んでるのもきれいやな。」
「植物園まで行こか。出町柳より北の並木も見たいわ。」

本当に、出町柳より北の並木が素敵で見せたかったのですが、そこまで行くと2時間シートベルトにくくられていることになります。なので、私、心の中で却下。けど、家の中にずっと居るよりもええやろ。実際、実家へ帰りついてからも老母の機嫌はよかったです。

母が見たがっていた高野川沿いの並木です。
スマホ写真だとうまくおさまりません。でも、その場に居ると、圧巻です。20200403_20200404120701
20200403 高野川沿いを通る車列も、この時期この辺りはスピードがゆるまります。

この写真、それぞれ新しい職場に配属された息子夫婦にも送ってあげよう。

 

 

2020年2月22日 (土)

『認知症ポジティブ』

叔父から写真展の案内をいただいた。
「行くときは、おばあちゃんも誘ってあげてくださいね」
とメモ書きあり。
ばあちゃん(母)を誘ってみたら、
「行きたい」と。

そうやな。最近、だんだん足腰が弱くなって、家の中にいることが多いみたい。それに、同じ町内の内科医院へ行くのもタクシーをよんでるようだ。脊柱管狭窄症。腰が左前に側弯&前屈。もう見上げるという動作は不可能。痛みもあるらしい。筋力の衰え。横断歩道は信号青のうちに渡りきれないだろうな。

1週間ぐらい前に言うてくれたら、朝でも車で来ていっしょに医院へ行けるよと、母に提案してみても、カレンダーのその日の欄に‘1週間まえ’とペンで書きこんだばあちゃん。一週間前、がわからない? 明日医者へ行こうと思った日にタクシー予約TELするということにしているらしい。記憶力低下してるから、予定はカレンダ記入しておかないと忘れるだろうに、カレンダーにいっぱい書いてあると頭が混乱するという。

これに、母の難聴とうまく発声できないのが加わって、会話がつながらないことおびただしい。これが、もっかのところ、私の、母へのイライラの原因だ。

写真展は大阪北部の市で。大阪へはあまり車で行ったことがなく、当日、道に迷って、腰のまるい母に負担かけたらいけないと思い、下見に行った。会場の場所・広さ、車椅子あることも確認。

電話でばあちゃんに、
「有料道路使ったら40分ほどで行けるわ。車椅子もあったし、大丈夫。春になったら、介護のほうで車椅子借りて、私の車に乗せて、桜でも見に行こうな。その時は、車椅子を後ろの席に入れんとあかんから、ばあちゃんは、前の席にのってもろて、シートベルトもしめてもらうわな。」

という話をして電話を切ってしばらく、ばあちゃんから電話。

「もう行くのやめとくわ。車椅子借りたり、前の席にのったり、有料道路走ったり、そんなややこしいのはイヤや!」
「いや、ちがうんや。車椅子は、写真展にはあるんや。車椅子をきれいに拭いて待っときます、て言うてくれはったんやで。」
と、説明。

いっぺんにたくさんの言葉・情報を伝えすぎた!ばあちゃんの頭の中で、私から出た言葉の羅列がどんどん流れていって、印象に残った言葉だけに反応してるかんじ。(これは、弟も、今も同じ状態なのだろう。)

その後もしばらくごちゃごちゃ言う母にわかってもらおうと、さらに言葉を重ねてしまい、母はどんどん混乱し、泣き声になってくる。イライラ。私は母を困らせたいのではない。イライラ。どうやったらわかってもらえるんやろう。イライラ。イライラ。

と、ついに、大声を出してしまった、電話で。
「行きたいんか、行きたくないんか、どっちや! ほかのことは私が考える! 行きたいんか?!行きたくないんか!?」

あ~~~~あ。落ち込む。わかってるんや。母にとってみれば、娘(私)は怒っているのだ。ん。まぁ、怒っている、か。

先日読んだ『認知症ポジティブ』という本にも書いてあった。
・認知機能低下は、小児の発達を逆行する。このことを理解し受け入れること。
・真実は一つしかないと考えると言い争いになる。本人にとっての真実と、介護者にとっての真実がある。併存でいい。
・本人のもの忘れや失敗を指摘しないこと。本人は「叱られている」と感じ「怒りスイッチ」になってしまう。

怒りのスイッチが入ると、徘徊や暴言などの行動へと移行するらしい、と私は理解した。

母はまだ、自分がどんどんいろんなことができなくなっていってるとわかっているから、そのたびに、母も落ち込んでいる。でも、なんで娘を怒らしたのかのかがわからない。ますます混乱。わかってる。わかってるんや。けどハラ立つのはなんでやろう。母も、私が子どもだった頃、感情的に怒鳴って叱ったやん!とは、私の言い訳。

病院で認知症検査をしてもらったとして、治療して病の進行を遅らせたり改善することができたとして、また時が進めばいずれ今のようなツライ時期が再来するのかと思うと、それも辛く、母も気の毒。

・認知症予防は、認知症の先送りである。
ということも、書いてあったな、あの本に。

認知的共感という言葉も私にとっては、新しく、
・「本人はどんなふうに感じ、どんなふうに考えているのだろうか」と共感する。ただし、冷めた目で相手を見て、その推測が正しいとは限らないという視点を常に持つ。
そんなふうに、冷静に母に接することができたらと思うのだけれど、それもなかなか難しい。

ポジティブは難しい!

 

2019年9月28日 (土)

な で し こ

実家に帰ると新しい花が玄関前に咲いていました。なでしこのポット苗が4つ。実家に花が増えるのは久しぶりです。花壇の世話をしていたのは父でしたが、その父が亡くなってからは植えっぱなし、鉢は枯れっぱなしでした。

「生協(の共同購入)で買うてん。」
と、母。
これはうれしい。母が花を買うということは、母の心がちょっと前を向いてきたようで。

ここ数年は、耳が遠いこともあってか、私が家ん中へ入ってもじっとうつむいて椅子に腰かけ気づかぬよう(ふり?)。私の目の前でバターーっと前向きに倒れては「あんたが見てるからこけたんや。」なんて言ったことも。

あの頃からみれば雲泥の差。最近はしゃべる言葉も小さい声だけれども滑舌は良くなってます。体の動きは超スローですけども。。。。

で、なでしこの苗。
届いたポットそのまま4つ、植木鉢の中に並べ入れてあるだけ。

「ほんまはちゃんと土に植えんならんのやろうけどな、それでもええかと思て。」
まー手の力もないし足もよれよれなんで、植え替え作業が危ないということもありますし、もともと植物にはあまり興味のない人だということでもありますし。

次の週。なでしこを見てみると、枯れかかってる!ポット内の土をさわってみれば土はカラカラ。
「そのうち雨が降りそうやし、ええかと思てほっといてん。」

いかーん、いかんいかん。このまま枯れたら母の気持ちもまた枯れていってしまうかも~💦 なでしこも生きているんだ、枯れることは死ぬことだ。

と、さっそくに植え替えまして、枯れかけた部分を切除。水をた・・・・っぷりやって、肥料もまいときました。

そして、また次の週に見に行きますと、このとおり。Kimg0282
なでしこ、フッカツいたしました♪ ほ。Kimg0283

「あんた、水道(家の外にある)の蛇口、こないだきつぅ締めたやろ。あんなにきつかったら、私、あけられへんし花に水やれへんやん。」
と、母からのクレーム。声が小さいわりには、ちゃんと文句言うやん。はいはい。

先日は
「今度から体操に行くことにしてん。私な、あのーーなんやったかいな、段階のあるやつ、あれがな、いちばん軽いやつやねん。そやから週に1回だけしか行かれへんねんけどな。」
段階・・・って・・・? あ~要介護とか要支援とかいうやつか?
「ちがう! 私は介護とちゃう。 それからな、車でそこまで連れて行ってくれはんねん♪」
そこって、どこ?
「ほがらか、っちゅうとこ。」

なるほど。デイサービスとかいうやつなんかな。介護してもらわんでもええ、と思えるようになったんやな。ま、本人はずっとそのつもりできてるのかもしれへんけど。つまり、自分で、デイサービスの申し込みをしてきたということやな。調子ええやん。

もちろん、地域センターの方が母に声かけて、(介護、とかの言葉を使わずに) うまく母に話をきりだし、出かけるきっかけをふやしてくださったのでしょう。母の身体が動かなくなるのを遅らせようとしてくださったのでしょう。私が提案したら、かえって母の頭がコンランしたり意地になって拒絶したりしたでしょうに、さすがはプロです。ありがたいことです。

距離をとって、母のやり方生き方をまだみていこうと思ってます。

2019年9月 1日 (日)

冬瓜のくずひき2019

冬瓜をくずひきにして実家の母へ持って行きました。190811

そしたら、

母も、私に持って帰ってもらおうと、冬瓜の煮物を多めに作っていました。
あちゃーー、冬瓜、かぶってしもた。

けども、

くずひきと煮物と、ちょっと違うから、それぞれ交換することに。

家に帰って食べくらべてみたらば、
母の煮物の方が美味しかった!見た目は写真のとおり、おいしそうでしょ?けどね、母のほうがだんぜん美味しかった!

経験値の差ですね。
母はだんだん身体がいうことをきかなくなって、きっと、ゆぅ・・・っくり動きながら作ったのだと思います。ゆぅっくり冬瓜を持ち上げて、ゆっくり包丁を出して、ゆっくり皮剝いて(これ、ようできたな)切って、ゆっくり鍋出して、ゆっくり水入れて出汁とって、ゆっくり味付けて。。。 
でも今までの経験はしっかり生きている。

母にTELで
「わたしのん、味、ヘンやった。なんでやろう。」
と聞くと、
「火を通す時間が短かったんとちゃう?」
とのこと。

ケチっちゃいけませんね、時間もガスも。(^-^;

買物は生協の個配ですませ、掃除は支援の方(風呂・トイレ・台所の床)と弟(掃除機かけ)と私(雑巾がけ)で手分けしてる母の生活。きっと炊事洗濯も、入浴も布団敷きも医者通いも、私が手を貸したら、母は日々の身体はラクなんだろうけど、あえて、様子を見ています。「また来るわな。明日デンワするわな。」と帰ってきます。なんだか後ろめたい。。⤵ 。 私、冷たいか? けども、いったんラクになったら、一気に母の身体と頭が弱っていくようで、こわくもあるのです。我が子(私)のためにおかずや食事を作ることで、母が‘役に立ってる’と思える気がするのです。ぁそれから、私のアドバイスはぜ・・・ったい受け入れないことでもあるし~。
これ、言い訳かなぁ。逃げてるのかなぁ。

せめて、

「できひんからやって」と唯一母が言う ペットボトルのフタ開けを、2~3本やって冷蔵庫に入れておくことにしています。
しかし、いいのか?これで、いいのか? まあ・・・これでいいのだ、と思っとこう。

2019年5月25日 (土)

88歳と待ち合わせ

「あんな。こないだ出かけたら、つけてたはずやのに腕時計がないねん。で、帰ってきたときに家の前の道で見つけたんやけど、車かなんかに轢かれたんやろか。壊れててなぁ。いま、腕時計がないねん。ないと困るねん。」

と、母が言う。

新しいの、買いに行ったら? 外に出る機会にもなるし。
「うん。。。。。。 前はな、お父さんといっしょのときに、質屋で買うてん。」
母は、食材や日用品の買物はするけれど、服や靴・小物の買物にはひとりで行けないみたい。買い慣れてないというか、店も分からないというか。ま、私もめったに服や靴・小物なんて買わないし、ウインドウショッピングも疲れるだけで面白いとは思わない方だから、母とあまりかわらないか。時計店なんてどこにあるのかわからない。

私、買うてこうか、腕時計?(そーだ、店はネットで調べたらいい。いっそのことネットで買うというテもあるな。)
「。。。。。んんん~~~。」
そやな。母は、ひとが買ってきたものを使わない。自分で選びたいのかなぁ。

いっしょに買いに行く? 
「うん。」即答。
それならはじめからそう言うてくれたら、いままでの問答はせずにすんだのに!
でもそれは言わずにおく。ひとこと私の気持ちを言ったがために、よけいに話をコンランさせるということが、最近わかってきたのであ~る。
ま、私も日々 学習しておるということで。。

さて、時計はどこで売ってるのか。大型スーパー? 古くからある個人経営の時計宝石店?
実家の近くで調べてみると、深草あたりか大手筋あたり。でも、母は、
「あんたの家の近くの方がええ。もしまた修理とかせんならんようになったら、私の代わりにあんたに行ってもらうこともあるやろし。」

ということで、

高野のバス停で母と待ち合わせることに。母はまだバスなどでの移動へは気持ちが向くみたい。動きはゆるりゆるり、足はそろりそろり、だけれど。

ぜ・・・・・・ったいに、バスを降りたとこで待っててな。
と何度も念をおす。

バイト終わりでいったん帰宅し、車で急行。
歩き回って母を疲れさせないよう、前もって時計売り場&時計店を下見しておきたいと思い、約1時間前に到着。母は早めにくるかもしれない。待たせたら不安になるかもしれない。と思いつき、店の場所を確認だけして、30分前にバス停に行って待つことにした。

30分前のバス。
降りてこない。次のバスかな? 狭いバス停、他の人の邪魔にならぬようちょっと離れたところで、その日もらった職場の健康診断の結果なぞ見る。 

次のバス。
降りてこない。あれ?この次のバスかなぁ。
と、目を足元にやるとっ、( ゚Д゚)
車道と歩道の間の縁石に腰かけてる老人がっ。アブナイ人だ!ぎりぎりに寄って走るバイクに接触しそうだ! 
え?もしかして、、、、?とよく見ると、、、、、私の母!なんてこったい!
けども、びっくりさせてはいけない。ころんと車道に転がっては一大事だぁ。

ずっとしたを見てる(もう背中がだいぶん曲がってるので下しか向けない)母の顔の前で手をふり
もう来てたん?早いなー。私もだいぶん前から来てたのにわからんかったわ。いつからここにいたん?
と声かけた。母は難聴だからでかい声で。ついでに、縁石に腰かけたら危険なこともつけたし。けど、座るところは他にないバス停。乗り降りの多いバス停。バスを待つ周りの人達の「なんで老人をこんなとこで座らして待たせるねん!」という心の声や視線が、突き刺さってくるように感じた。こんなことないように、早めに行ったのにな。健康診断結果など見ず、ずっと目を皿にしとけばよかった。

聞けば、母は「早く(たぶん私が店を確認してる間)に着いて、トイレに行っといた」のだとか。お互いに、早くに来たのにすれちがい。

母といっしょに、歩行者時間をめいっぱいつかって、ゆっくりと信号交差点を横断。まだきりぎり間にあう歩行速度。
「背中が曲がってしもて下しか見えへんけど、おかげで、つまづかへんようになったわ。」
と母。母は、こんなプラス思考だったっけと、ちょっと見直す。文句の多い人だから。

近い方の、個人時計店へ。実際に母に時計をつけてもらい、つけやすさやつけ心地や見やすさなどを確かめてもらう。母が住所等記入し、母が支払った。ゆ・・・・くりだけど、まだ、自分でしたいという意志があるのが有難い。待ってるのは辛気臭いし母も自分でやるのはしんどいだろうけども、母ができることを私がしてしまったら、母の自信や意欲がなくなっていくようでこわいから、私は、ギリギリまで、じっとガマンの手を出さずの娘でいよう。

ということで、母との待ち合わせ・時計買いは、いろんな意味で無事終了。
帰りは、実家まで母を車で送りました。時計の保証書は、私の手元にあります。

 

 

2018年12月28日 (金)

父のPC

父のパソコンをやっと開けようと思った。

昨年3月に亡くなった父のパソコン。母にとっては全くわからない不可解なモノだからか、父が毎日のぞきこみ自分(母)とよりも長く時間を過ごしていたからか、
「そんなもん要らん!どっかへやって!」
と、当時の母は言った。

持って帰ってきた父のパソコン2台。春が過ぎ、夏、秋、冬がきて一周忌法要がすみ、また夏・秋もすんで2度目の今冬。 1年10カ月、ずっとうちのタンス横に置いていた。仕事と母と日々の家仕事とで、24f時間のくり返しが流れてしまった。疲れていたのもある。のぞくのが悲しかったのもある。どうしても、さわれなかった。

あの朝も、父は、朝食ができるまでにと、パソコンを開けたところで倒れたのだった。あの時、父はパソコンでなにをしようとしていたのかなぁ。デスクトップに保存した囲碁のゲーム?、住所録の整理?、趣味で集めていた京都の民話の清書か?それとも、なにか家族に残したい手紙か?

もしかしたら、遺書も入っているのかもしれない。書きかけだったのかもしれない。思わぬところに「現金○万円かくしておく」なんていうのかもしれない。

開けなきゃ。確認して、大事なものは残さなきゃ。パソコンも、もう処分しなきゃ。

そう思いつつ数か月。
やっと、
開けようと思った。

あそるおそる電源を入れるとパスワードもかけてなく、デスクトップやデータフォルダの中をひとつひとつチェックしたけれど、、、
大事そうなものや個人情報は残っていなかった。 

父が仕事でよく使っていたのはワープロの時代だったから、フロッピーディスクかプリントアウトした紙(冊子)で保存することにしていたらしい。パソコンの中に保存する発想がなく、その方法も、説明を受けたのかもしれないけど、もう理解し活用できなかったのかも。

残っていたのは、書きかけの民話の原稿と、デスクトップに囲碁ゲームのショートカット。書きかけの原稿はいくつかあったけど、削除方法ももしかしたらわからなかったのかもしれない。

遺書や手紙はなかった。ほぼ空っぽだった。

父は自分の死を、受け入れることができたのだろうか、日々怖かっただろうと、改めて思う。父に寄り添えなかった自分を悲しく思う。

そんなことを思いながら、書きかけ原稿もゲームもすべて消去し、ゴミ箱の中も消去するところまでして、家電店で引き取ってもらった。

またひとつ E N D。

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