実   家

2020年4月 4日 (土)

🚙 桜見ドライブ🚙

 

冬の間にもう外へ出られなくなった母に、目から刺激(?)を入れようと、母&車椅子♿を乗せて桜見に行きました🚙。

桜のきれいなところまで車で行き、母の乗る車椅子を押して歩こうと、車椅子♿はケアマネさん紹介の店でレンタル。で、車椅子♿初心者の私、 🚙運転して初めて初めて気づいたこと。駐車場Pが、車椅子♿を押して桜を見ることのできる場所になければ、車椅子♿を押しての花見はできないのだということ。あちゃーー。(>_<)

使ってみて初めて気づくこと、たくさんあるのですねぇ。
例えば、車椅子♿が常設されている施設(お墓や小さな展示場など)でも、トイレの出入り口の幅が車椅子♿の幅ギリギリだと、直角にうまく入れなければトイレに入れないだとか。通路が狭いと、点字ブロックが通路の幅いっぱいにあって、車椅子♿はガタガタ揺れてしまう、とか。視覚不自由な方にとっては必要な点字ブロックが、身体不自由な者にとっては障害となってしまいました。あと、重みですぐに閉じるようになってる扉。押し手である私が背中で扉を開け止めてバックで出ようとすると、車椅子♿が出たとたんに閉まる扉が老母の足にぶつかるとか。
不自由への配慮が中途半端になってしまっているところがあるのだということ。予算の関係もあるのでしょうが、これは企画設置した人が不自由じゃないからなんでしょうね。私も、使ってみて初めて気がついたというしだいでして。。。。

おっと、話をもとにもどしましょう。

積みこんだ車椅子♿を使える花見どころをさがしているうちに、背中の曲がった老母が疲れてしまうだろうと、車椅子♿での花見はあきらめました。🚙車内からながめる桜を楽しんでもらおう。ずっと家に居るよりずっといい。

去年までは、敬老乗車証をつかって自分でバスに乗り、車窓から桜を楽しんでいたみたいですけど、もう敬老乗車証も老母には役に立たなくなってしまいました。私も75歳になったら、この敬老乗車証を使おう、老人の特権だーーと思っているのですが、せっかくの敬老乗車証を使う期間もそんなに長くないのですねぇ。

おっとおっと、こんどこそ話をもとにもどしましょうぞ。

老母が靴を履き、玄関前に横づけにした🚙に乗り込むまで約15分。待ちました。本人が自分でやりたいと言っているということもあり、私は、手伝いません。(時間に余裕があるというのはいいことだ!)重心が傾いて体勢を自力でもどせない時だけ手をそえました。
「あぶないなー!そんなやりかたしたら倒れる!」
との文句付💢でしたけど "(-""-)" 。

長時間🚙だと疲労すると思い、往復1時間と決めました。
「30分経ったら、引き返すで」と。
伏見から丸太町あたりまで、疎水沿い、鴨川沿いを。老木に花咲かせているお宅もあり、それらを眺めながらのドライブ。

桜には不思議な力がありますね。息をのむようなオーラが、車の中にいる私達にもふわぁっとかぶさってきます。移っていく景色に目をうばわれるのか、老母からの毒あるようなイラつくような言葉は出ませんでした。私の心も、桜に癒されていましたし。

「こんなとこにも桜の木があったんやなぁ。」
「こんなにたくさん桜の木があったら、今はきれいやけどな。花が終わったら、毛虫がタイヘンやでぇ。」
「並んでるのもきれいやな。」
「植物園まで行こか。出町柳より北の並木も見たいわ。」

本当に、出町柳より北の並木が素敵で見せたかったのですが、そこまで行くと2時間シートベルトにくくられていることになります。なので、私、心の中で却下。けど、家の中にずっと居るよりもええやろ。実際、実家へ帰りついてからも老母の機嫌はよかったです。

母が見たがっていた高野川沿いの並木です。
スマホ写真だとうまくおさまりません。でも、その場に居ると、圧巻です。20200403_20200404120701
20200403 高野川沿いを通る車列も、この時期この辺りはスピードがゆるまります。

この写真、それぞれ新しい職場に配属された息子夫婦にも送ってあげよう。

 

 

2020年2月22日 (土)

『認知症ポジティブ』

叔父から写真展の案内をいただいた。
「行くときは、おばあちゃんも誘ってあげてくださいね」
とメモ書きあり。
ばあちゃん(母)を誘ってみたら、
「行きたい」と。

そうやな。最近、だんだん足腰が弱くなって、家の中にいることが多いみたい。それに、同じ町内の内科医院へ行くのもタクシーをよんでるようだ。脊柱管狭窄症。腰が左前に側弯&前屈。もう見上げるという動作は不可能。痛みもあるらしい。筋力の衰え。横断歩道は信号青のうちに渡りきれないだろうな。

1週間ぐらい前に言うてくれたら、朝でも車で来ていっしょに医院へ行けるよと、母に提案してみても、カレンダーのその日の欄に‘1週間まえ’とペンで書きこんだばあちゃん。一週間前、がわからない? 明日医者へ行こうと思った日にタクシー予約TELするということにしているらしい。記憶力低下してるから、予定はカレンダ記入しておかないと忘れるだろうに、カレンダーにいっぱい書いてあると頭が混乱するという。

これに、母の難聴とうまく発声できないのが加わって、会話がつながらないことおびただしい。これが、もっかのところ、私の、母へのイライラの原因だ。

写真展は大阪北部の市で。大阪へはあまり車で行ったことがなく、当日、道に迷って、腰のまるい母に負担かけたらいけないと思い、下見に行った。会場の場所・広さ、車椅子あることも確認。

電話でばあちゃんに、
「有料道路使ったら40分ほどで行けるわ。車椅子もあったし、大丈夫。春になったら、介護のほうで車椅子借りて、私の車に乗せて、桜でも見に行こうな。その時は、車椅子を後ろの席に入れんとあかんから、ばあちゃんは、前の席にのってもろて、シートベルトもしめてもらうわな。」

という話をして電話を切ってしばらく、ばあちゃんから電話。

「もう行くのやめとくわ。車椅子借りたり、前の席にのったり、有料道路走ったり、そんなややこしいのはイヤや!」
「いや、ちがうんや。車椅子は、写真展にはあるんや。車椅子をきれいに拭いて待っときます、て言うてくれはったんやで。」
と、説明。

いっぺんにたくさんの言葉・情報を伝えすぎた!ばあちゃんの頭の中で、私から出た言葉の羅列がどんどん流れていって、印象に残った言葉だけに反応してるかんじ。(これは、弟も、今も同じ状態なのだろう。)

その後もしばらくごちゃごちゃ言う母にわかってもらおうと、さらに言葉を重ねてしまい、母はどんどん混乱し、泣き声になってくる。イライラ。私は母を困らせたいのではない。イライラ。どうやったらわかってもらえるんやろう。イライラ。イライラ。

と、ついに、大声を出してしまった、電話で。
「行きたいんか、行きたくないんか、どっちや! ほかのことは私が考える! 行きたいんか?!行きたくないんか!?」

あ~~~~あ。落ち込む。わかってるんや。母にとってみれば、娘(私)は怒っているのだ。ん。まぁ、怒っている、か。

先日読んだ『認知症ポジティブ』という本にも書いてあった。
・認知機能低下は、小児の発達を逆行する。このことを理解し受け入れること。
・真実は一つしかないと考えると言い争いになる。本人にとっての真実と、介護者にとっての真実がある。併存でいい。
・本人のもの忘れや失敗を指摘しないこと。本人は「叱られている」と感じ「怒りスイッチ」になってしまう。

怒りのスイッチが入ると、徘徊や暴言などの行動へと移行するらしい、と私は理解した。

母はまだ、自分がどんどんいろんなことができなくなっていってるとわかっているから、そのたびに、母も落ち込んでいる。でも、なんで娘を怒らしたのかのかがわからない。ますます混乱。わかってる。わかってるんや。けどハラ立つのはなんでやろう。母も、私が子どもだった頃、感情的に怒鳴って叱ったやん!とは、私の言い訳。

病院で認知症検査をしてもらったとして、治療して病の進行を遅らせたり改善することができたとして、また時が進めばいずれ今のようなツライ時期が再来するのかと思うと、それも辛く、母も気の毒。

・認知症予防は、認知症の先送りである。
ということも、書いてあったな、あの本に。

認知的共感という言葉も私にとっては、新しく、
・「本人はどんなふうに感じ、どんなふうに考えているのだろうか」と共感する。ただし、冷めた目で相手を見て、その推測が正しいとは限らないという視点を常に持つ。
そんなふうに、冷静に母に接することができたらと思うのだけれど、それもなかなか難しい。

ポジティブは難しい!

 

2019年9月28日 (土)

な で し こ

実家に帰ると新しい花が玄関前に咲いていました。なでしこのポット苗が4つ。実家に花が増えるのは久しぶりです。花壇の世話をしていたのは父でしたが、その父が亡くなってからは植えっぱなし、鉢は枯れっぱなしでした。

「生協(の共同購入)で買うてん。」
と、母。
これはうれしい。母が花を買うということは、母の心がちょっと前を向いてきたようで。

ここ数年は、耳が遠いこともあってか、私が家ん中へ入ってもじっとうつむいて椅子に腰かけ気づかぬよう(ふり?)。私の目の前でバターーっと前向きに倒れては「あんたが見てるからこけたんや。」なんて言ったことも。

あの頃からみれば雲泥の差。最近はしゃべる言葉も小さい声だけれども滑舌は良くなってます。体の動きは超スローですけども。。。。

で、なでしこの苗。
届いたポットそのまま4つ、植木鉢の中に並べ入れてあるだけ。

「ほんまはちゃんと土に植えんならんのやろうけどな、それでもええかと思て。」
まー手の力もないし足もよれよれなんで、植え替え作業が危ないということもありますし、もともと植物にはあまり興味のない人だということでもありますし。

次の週。なでしこを見てみると、枯れかかってる!ポット内の土をさわってみれば土はカラカラ。
「そのうち雨が降りそうやし、ええかと思てほっといてん。」

いかーん、いかんいかん。このまま枯れたら母の気持ちもまた枯れていってしまうかも~💦 なでしこも生きているんだ、枯れることは死ぬことだ。

と、さっそくに植え替えまして、枯れかけた部分を切除。水をた・・・・っぷりやって、肥料もまいときました。

そして、また次の週に見に行きますと、このとおり。Kimg0282
なでしこ、フッカツいたしました♪ ほ。Kimg0283

「あんた、水道(家の外にある)の蛇口、こないだきつぅ締めたやろ。あんなにきつかったら、私、あけられへんし花に水やれへんやん。」
と、母からのクレーム。声が小さいわりには、ちゃんと文句言うやん。はいはい。

先日は
「今度から体操に行くことにしてん。私な、あのーーなんやったかいな、段階のあるやつ、あれがな、いちばん軽いやつやねん。そやから週に1回だけしか行かれへんねんけどな。」
段階・・・って・・・? あ~要介護とか要支援とかいうやつか?
「ちがう! 私は介護とちゃう。 それからな、車でそこまで連れて行ってくれはんねん♪」
そこって、どこ?
「ほがらか、っちゅうとこ。」

なるほど。デイサービスとかいうやつなんかな。介護してもらわんでもええ、と思えるようになったんやな。ま、本人はずっとそのつもりできてるのかもしれへんけど。つまり、自分で、デイサービスの申し込みをしてきたということやな。調子ええやん。

もちろん、地域センターの方が母に声かけて、(介護、とかの言葉を使わずに) うまく母に話をきりだし、出かけるきっかけをふやしてくださったのでしょう。母の身体が動かなくなるのを遅らせようとしてくださったのでしょう。私が提案したら、かえって母の頭がコンランしたり意地になって拒絶したりしたでしょうに、さすがはプロです。ありがたいことです。

距離をとって、母のやり方生き方をまだみていこうと思ってます。

2019年9月 1日 (日)

冬瓜のくずひき2019

冬瓜をくずひきにして実家の母へ持って行きました。190811

そしたら、

母も、私に持って帰ってもらおうと、冬瓜の煮物を多めに作っていました。
あちゃーー、冬瓜、かぶってしもた。

けども、

くずひきと煮物と、ちょっと違うから、それぞれ交換することに。

家に帰って食べくらべてみたらば、
母の煮物の方が美味しかった!見た目は写真のとおり、おいしそうでしょ?けどね、母のほうがだんぜん美味しかった!

経験値の差ですね。
母はだんだん身体がいうことをきかなくなって、きっと、ゆぅ・・・っくり動きながら作ったのだと思います。ゆぅっくり冬瓜を持ち上げて、ゆっくり包丁を出して、ゆっくり皮剝いて(これ、ようできたな)切って、ゆっくり鍋出して、ゆっくり水入れて出汁とって、ゆっくり味付けて。。。 
でも今までの経験はしっかり生きている。

母にTELで
「わたしのん、味、ヘンやった。なんでやろう。」
と聞くと、
「火を通す時間が短かったんとちゃう?」
とのこと。

ケチっちゃいけませんね、時間もガスも。(^-^;

買物は生協の個配ですませ、掃除は支援の方(風呂・トイレ・台所の床)と弟(掃除機かけ)と私(雑巾がけ)で手分けしてる母の生活。きっと炊事洗濯も、入浴も布団敷きも医者通いも、私が手を貸したら、母は日々の身体はラクなんだろうけど、あえて、様子を見ています。「また来るわな。明日デンワするわな。」と帰ってきます。なんだか後ろめたい。。⤵ 。 私、冷たいか? けども、いったんラクになったら、一気に母の身体と頭が弱っていくようで、こわくもあるのです。我が子(私)のためにおかずや食事を作ることで、母が‘役に立ってる’と思える気がするのです。ぁそれから、私のアドバイスはぜ・・・ったい受け入れないことでもあるし~。
これ、言い訳かなぁ。逃げてるのかなぁ。

せめて、

「できひんからやって」と唯一母が言う ペットボトルのフタ開けを、2~3本やって冷蔵庫に入れておくことにしています。
しかし、いいのか?これで、いいのか? まあ・・・これでいいのだ、と思っとこう。

2019年5月25日 (土)

88歳と待ち合わせ

「あんな。こないだ出かけたら、つけてたはずやのに腕時計がないねん。で、帰ってきたときに家の前の道で見つけたんやけど、車かなんかに轢かれたんやろか。壊れててなぁ。いま、腕時計がないねん。ないと困るねん。」

と、母が言う。

新しいの、買いに行ったら? 外に出る機会にもなるし。
「うん。。。。。。 前はな、お父さんといっしょのときに、質屋で買うてん。」
母は、食材や日用品の買物はするけれど、服や靴・小物の買物にはひとりで行けないみたい。買い慣れてないというか、店も分からないというか。ま、私もめったに服や靴・小物なんて買わないし、ウインドウショッピングも疲れるだけで面白いとは思わない方だから、母とあまりかわらないか。時計店なんてどこにあるのかわからない。

私、買うてこうか、腕時計?(そーだ、店はネットで調べたらいい。いっそのことネットで買うというテもあるな。)
「。。。。。んんん~~~。」
そやな。母は、ひとが買ってきたものを使わない。自分で選びたいのかなぁ。

いっしょに買いに行く? 
「うん。」即答。
それならはじめからそう言うてくれたら、いままでの問答はせずにすんだのに!
でもそれは言わずにおく。ひとこと私の気持ちを言ったがために、よけいに話をコンランさせるということが、最近わかってきたのであ~る。
ま、私も日々 学習しておるということで。。

さて、時計はどこで売ってるのか。大型スーパー? 古くからある個人経営の時計宝石店?
実家の近くで調べてみると、深草あたりか大手筋あたり。でも、母は、
「あんたの家の近くの方がええ。もしまた修理とかせんならんようになったら、私の代わりにあんたに行ってもらうこともあるやろし。」

ということで、

高野のバス停で母と待ち合わせることに。母はまだバスなどでの移動へは気持ちが向くみたい。動きはゆるりゆるり、足はそろりそろり、だけれど。

ぜ・・・・・・ったいに、バスを降りたとこで待っててな。
と何度も念をおす。

バイト終わりでいったん帰宅し、車で急行。
歩き回って母を疲れさせないよう、前もって時計売り場&時計店を下見しておきたいと思い、約1時間前に到着。母は早めにくるかもしれない。待たせたら不安になるかもしれない。と思いつき、店の場所を確認だけして、30分前にバス停に行って待つことにした。

30分前のバス。
降りてこない。次のバスかな? 狭いバス停、他の人の邪魔にならぬようちょっと離れたところで、その日もらった職場の健康診断の結果なぞ見る。 

次のバス。
降りてこない。あれ?この次のバスかなぁ。
と、目を足元にやるとっ、( ゚Д゚)
車道と歩道の間の縁石に腰かけてる老人がっ。アブナイ人だ!ぎりぎりに寄って走るバイクに接触しそうだ! 
え?もしかして、、、、?とよく見ると、、、、、私の母!なんてこったい!
けども、びっくりさせてはいけない。ころんと車道に転がっては一大事だぁ。

ずっとしたを見てる(もう背中がだいぶん曲がってるので下しか向けない)母の顔の前で手をふり
もう来てたん?早いなー。私もだいぶん前から来てたのにわからんかったわ。いつからここにいたん?
と声かけた。母は難聴だからでかい声で。ついでに、縁石に腰かけたら危険なこともつけたし。けど、座るところは他にないバス停。乗り降りの多いバス停。バスを待つ周りの人達の「なんで老人をこんなとこで座らして待たせるねん!」という心の声や視線が、突き刺さってくるように感じた。こんなことないように、早めに行ったのにな。健康診断結果など見ず、ずっと目を皿にしとけばよかった。

聞けば、母は「早く(たぶん私が店を確認してる間)に着いて、トイレに行っといた」のだとか。お互いに、早くに来たのにすれちがい。

母といっしょに、歩行者時間をめいっぱいつかって、ゆっくりと信号交差点を横断。まだきりぎり間にあう歩行速度。
「背中が曲がってしもて下しか見えへんけど、おかげで、つまづかへんようになったわ。」
と母。母は、こんなプラス思考だったっけと、ちょっと見直す。文句の多い人だから。

近い方の、個人時計店へ。実際に母に時計をつけてもらい、つけやすさやつけ心地や見やすさなどを確かめてもらう。母が住所等記入し、母が支払った。ゆ・・・・くりだけど、まだ、自分でしたいという意志があるのが有難い。待ってるのは辛気臭いし母も自分でやるのはしんどいだろうけども、母ができることを私がしてしまったら、母の自信や意欲がなくなっていくようでこわいから、私は、ギリギリまで、じっとガマンの手を出さずの娘でいよう。

ということで、母との待ち合わせ・時計買いは、いろんな意味で無事終了。
帰りは、実家まで母を車で送りました。時計の保証書は、私の手元にあります。

 

 

2018年12月28日 (金)

父のPC

父のパソコンをやっと開けようと思った。

昨年3月に亡くなった父のパソコン。母にとっては全くわからない不可解なモノだからか、父が毎日のぞきこみ自分(母)とよりも長く時間を過ごしていたからか、
「そんなもん要らん!どっかへやって!」
と、当時の母は言った。

持って帰ってきた父のパソコン2台。春が過ぎ、夏、秋、冬がきて一周忌法要がすみ、また夏・秋もすんで2度目の今冬。 1年10カ月、ずっとうちのタンス横に置いていた。仕事と母と日々の家仕事とで、24f時間のくり返しが流れてしまった。疲れていたのもある。のぞくのが悲しかったのもある。どうしても、さわれなかった。

あの朝も、父は、朝食ができるまでにと、パソコンを開けたところで倒れたのだった。あの時、父はパソコンでなにをしようとしていたのかなぁ。デスクトップに保存した囲碁のゲーム?、住所録の整理?、趣味で集めていた京都の民話の清書か?それとも、なにか家族に残したい手紙か?

もしかしたら、遺書も入っているのかもしれない。書きかけだったのかもしれない。思わぬところに「現金○万円かくしておく」なんていうのかもしれない。

開けなきゃ。確認して、大事なものは残さなきゃ。パソコンも、もう処分しなきゃ。

そう思いつつ数か月。
やっと、
開けようと思った。

あそるおそる電源を入れるとパスワードもかけてなく、デスクトップやデータフォルダの中をひとつひとつチェックしたけれど、、、
大事そうなものや個人情報は残っていなかった。 

父が仕事でよく使っていたのはワープロの時代だったから、フロッピーディスクかプリントアウトした紙(冊子)で保存することにしていたらしい。パソコンの中に保存する発想がなく、その方法も、説明を受けたのかもしれないけど、もう理解し活用できなかったのかも。

残っていたのは、書きかけの民話の原稿と、デスクトップに囲碁ゲームのショートカット。書きかけの原稿はいくつかあったけど、削除方法ももしかしたらわからなかったのかもしれない。

遺書や手紙はなかった。ほぼ空っぽだった。

父は自分の死を、受け入れることができたのだろうか、日々怖かっただろうと、改めて思う。父に寄り添えなかった自分を悲しく思う。

そんなことを思いながら、書きかけ原稿もゲームもすべて消去し、ゴミ箱の中も消去するところまでして、家電店で引き取ってもらった。

またひとつ E N D。

2018年2月18日 (日)

一 周 忌

亡き父の一周忌法事が終わりました。

会場やお寺との連絡・取り決め、親戚への案内、お礼等々。来てくださる方、来てはいただけないけど御香料やお供えを送ってくださる方・手紙を送ってくださる方。親戚でなく案内状も送ってないのに、もう1年経つとお供えの花など送ってくださった方。それぞれに対応が違いました。

当日の食事の数・当日持って帰っていただく粗供養の数・送る粗供養の数をまとめて、数日前に会場へ報告。これは昼休みに。

送るほうの粗供養に入れる御礼状の準備。御車代の準備(久しぶりの筆ペンがうまく使えない)。 お寺さんへのお布施・御膳料・御車代の準備。遠くから来ていただく方は着替えスペースがいるかもしれないから会場にスペース確保のお願いを。 当日持って行く位牌・写真・お盆や家に届いたお供えを忘れちゃいけない。お供えは来た方に分けて持って帰ってもらうと聞いたから、包む半紙やら袋やらも要るかな。来てくださる方のTEL番号はすぐ出せるところに。ご香料は現金だから、何かまとめて入れる袋が要るかな。おっと、数珠も持って行かなくちゃ。

当日。 誰よりも早く会場入りして最終打ち合わせなどしておきたい。 弟はきっと早くに行くだろう。 うろうろしたり、私とは別に事務室で打ち合わせを始めたりしてはまたややこしくなる。 だから誰よりも早くに到着したい。 と、朝6時に起きたのに、心配で再度確認してるうちに、持ち物が入るカバン(袋)が無いと焦り、喪服の襟がほつれているのを発見し、ブーツで出かけようとしてパンプスも要ることに気づき、とアタフタ。 出遅れてしまいました。なんと、土曜日だからか車の量も多く、なかなか進みません。 

着いたら弟をはじめ何人かすでに到着済。 

着替えのスペースはここですよ。写真と位牌を出してもらえますか? お供えするお菓子などあれば、あの台に。お寺へのお礼は法要が終わってからですが、まずご挨拶を。粗供養を送る方々の住所を教えてください。持って帰る粗供養はいくつ要りますか? 来られた方にはお茶を、お母さんにお出ししてもらっています。貴重品以外はこのワゴンに、コートはここのハンガーヘ。これらは法要の間に食事の部屋へ運んでおきますね。来られてないのは、あと何人でしょう。 食事されずに帰られるのはどなたですか?

という会場担当の方に言われるまま即答していき、あ・・・・・っという間に法要が始まりました。 自分の焼香順がちかづいてきて初めて、数珠を出していないことに気づき、またまた慌てて、しかし音をたてないようバッグから数珠を取り出すなんてこともありました。

法要後、お寺さんへのお礼をしに控室へ。

すぐ食事会場へ引き返します。飲み物(瓶)は開けた分だけ精算し、あとですべて合算で現金支払いです。お姉さん(私です)は、はじめの挨拶、弟さんは「献杯」と言うてくださいと言われ、即興で挨拶を簡単に。弟は「献杯」とだけ言うてくださいと何度か促された後、挨拶を始めました。ま、いいかぁ。 皆さんが食事してる間にお供えを私が分ける気でいたのですが、それは担当の方がしてくださることになっていたのでした。半紙や袋は持ってこなくてもよかったんやね。

お一人ずつにお礼の挨拶をしにいきました。言うときます。私は宴会でもこういうことはやりません。やりませんが、母も弟も動かないのでしょうがない。でもまあ、母・弟が通夜や葬式の時ほどはちゃめちゃでなく落ち着いているから、今回はこのまま無事終わるかな。あとは、車で来られた方へ駐車券の説明をして、いや預かって私が無料処理してもらいに事務室へ行って、粗供養をひとつずつ渡して、終わりの挨拶をして、皆さんを見送ったあと精算して、荷物と母を実家へ送れば終わりやな。

と算段しながらデザートを食べていると、向かいに座っていた弟が
「クレジットカードをまだ返してもらってない気がする。」
と言い出した。あーなんで今そんなことを言う気になる? 私しかする者がいないなら、手間暇は惜しまない。仕事の合間にやる。父はもうこの世にいられなかったけど、私はしんどくても今生きていられる。 だから頑張る。 だけどやっぱり、自分勝手なのかもしれませんが、こういうややこしさの起こることが一番こたえます。
カチンときて「
入院中に預かっていたものはもう全部返しました!」と何度か押し問答してるうち、終わりの(?)挨拶を促され、席を立つという場面もありました。 

はい。

終わりました。十分なことはできなかったけれど、通夜・葬式のときのような失礼を参会者にしてしまうことはなかった、、、のではないかと。まあこれが、私の精一杯でした。180218_


やっと、

父の葬儀が終わった気がします。

今日は、自分勝手な自分にあえて「お疲れ!」と言い、録画したオリンピックなぞ観ています。

さ。明日からは確定申告と朗読稽古だー。おっと、次の仕事さがしもあるぞー。今の仕事もあるぞー。 おーーーーっ!

2017年8月20日 (日)

初  盆

母は、’父の死以前にしていたこと’を踏襲しています。 父と一緒に行ってた月一回のコンサートに行き、父と事務していた退職互助会や手品の会に顔を出し、ハンドベルの練習や診療所など病院・講話の会・マッサージに定期的に行く等々。 マッサージ以外は父と一緒に行っていたところ。 まるで父が、自分の死後も母が行ける所をつくっておいたかのよう。 母は、いつも文句言いながらついて行ってたんですけどね。

変わったことは、たぶん月に一度の父の墓参と地域包括センター(?)から週に一回家事支援の人が来ること。 生協のこっこ便も週に一度やって来るので、それはそれなりに行く所や会う人達があり、ちょっと安心です。 私も、仕事後の電話で、しんどくなかったら一日に1ケ所、どこかに行けたらええなぁ、と日々言うてます。「そうやなぁ。」と返す余裕が、母にも出てきました。

けれども、

去年まで父と言ってた本家の墓参。 今年は私と2人で行きました。 JR京都駅のホームで待ち合わせ。西舞鶴に到着後、タクシーでお墓へ。母は難聴なのに、蚊の鳴くような声で、しかも口を動かさずに話します。 タクシーに乗り込んだら、運転手さんも補聴器をつけておられました。 そして、トラブル。

母: 花を買って行きたいんですけど。。。

運転手:花屋さんに行かれるのですね。

私: ぁ。墓参りに行くための花を、まず、買いに行くんです。

運転手:お寺の近くの花屋さんですね。どこですか?

母: お寺じゃないんです。 あの、花屋に。。。

私: お墓はお寺の中にあるのじゃなくて、山の麓にあるんですけど、駅前でしか花を買えないと思うんで、、まずここらへんの花屋で花を買いたいんです。

ということで花を買いまして、次はお墓です。 私はお墓がどこにあるのか、細かい道(そのあたりの地理)を知りません。 

運転手:お墓はどこですか?

母: え~っと。

私: 万願寺さんの方向とちがったっけ。

母: ちがう! 万願寺までは行かへん! 

私: けど方向としたら、万願寺さん方面やろ? 万願寺へ向かって運転してもろたら、わかる?

母: わからん!

運転手:そっち方面へ行ってみたら、わかりますか?

母: 行ってみたら、わかる。 あーあ、年寄りが、話す気なくなるのがわかるわ。そんなに次から次と話されたら、せわしぃてかなんわ!

、、、ということで、なんとかお墓のある、私にも見覚えのある田んぼのそばに到着。 あぜ道を少し登った小山のきわに、ご先祖様のお墓が並んでいるんです。 2年前、父と3人で来た時、父はこのあぜ道をハァハァ息切らしながら杖ついて歩いてたっけ。。。雨が降ってきてました。 ドアが開いてから、レインコートに着替え始めた母。 それを、気長に、嫌な顔ひとつせず待つ運転手さん。

行ってみると、なんと、お墓前の田んぼごと、猪避けの電気柵で囲まれていたんです。 危険なんて表示も。 感電したらタイヘン! どーしよー~~~と、ふり向くと、母がいない!  どこへ行った? だれかの助けを求めに行ったことはわかるが、このぬかるんだ狭いあぜ道ですべってこけたら? いったいどこ行った? 

タクシーまで戻ったかも。と、タクシーまで下るも、こっちにはだれも来られませんでしたよ、と運転手さん。 えーーーーっ、どこ行った? 

タクシーと私以外、だれも居ない。 し~~~~ん。 ただ、雨が降る。 

どーしよー。と、電気柵まで戻ろうとしたとき、上の方から女性の方と元気にしゃべってさっさと歩いてる母の声。 出るんやん、声! 歩けるんやん、さっさと!

地元女性の方に、電気柵の外し方と戻し方を教えていただき、雨の中、線香の束に火をつけ、ロウソクにも火をつけ灯籠に立て、花を供え、数珠とりだして手を合わせました。 用水路で私がバケツに汲んでおいた水は、「雨降ってるし、水はあげんでもええやろ。」とジャッと捨てる母。 ま~そうなんかもしれんけど。。。

というわけで、待機していたタクシーでまた駅前にもどり、昼御飯を食べ、京都に170816_2013帰ってきた墓参でした。 

.

.

先日の送り火。16日。 うちからちょこっとだけ見える舟形の帆を見ながら、父たちを送りました。今まで、五山の送り火というと夏の終わりの心の区切りでしかなく、夏の夜空に見える花火を見るような感覚でした。

今回、父は、初めてあの世から戻ってきて、街をあげての山々の火で送られるんやなぁと、思ったことでした。

2017年3月26日 (日)

ごちゃまぜごころ

思えば3月は朗読レッスンも行けずじまい。しかたないね、こんな時だもの。

 

と、自分に言い聞かせていた(いえ、家でも練習する心のゆとりがなかった)ところ、先日、母が言った。
 「ハンドベルのレッスンには行ってきた。1回でもレッスンが抜けると忘れてしまうからな。」

 

(・_)エッ....?  ・  ・  ・  。  はあ~~~~?  
 
しかもそれは通夜のたった1週間後だったらしい。

 

また別の日には
 「四十九日が済んだら早く納骨を済ませたい!」
 じゃ、次の日にでも
 「次の日はあかん。京フィルの演奏会に行く。」 

 

はあ~~~~? (゚Д゚)ハァ?  ハァ?
どーゆーこっちゃ。 母はこんな時に趣味が第一かぃ?
まぁ。。。ハンドベルも京フィル鑑賞も、いつも父と2人で楽しんでたことなので、それも関係あるのでしょうか?
しかし私は、父の死に関わる一連のことや、それにまつわる母・弟の言動や、自分の食い扶持(父が私に残したものdollarについての話は全く出ない)のことでアタマがいっぱいのこの数週週間だったことを思うと、なんだか胸にストンと落ちてこない。アタマで理解できない。これは私自身の性格のモンダイか?

 

こころがごちゃまぜ状態。とにかくココロを少しでもスッキリさせたい。

 

と、
あろうことか、私は平安神宮へお参りに行った。帰宅後PCで調べてみたら、喪中50日は神社へ入ってはいけないとか。知らなんだ~。 50日過ぎたらまた謝り参り(?)に行こう。
と、

見つけた聖書。 音読してみた。 これは、いいのだったか?  
そしてここ数日、起床後の自己流瞑想タイムも。 

あ~とにかくココロを少しでもスッキリさせたい。170320__2

そこで見つけた袋麺。ひと月ほど前、職場でタイ土産にもらった袋麺。「と・・・・・っても辛いですから、家で食べたほうがいいですよ。」と言われ、持ち帰った袋麺。 そうだ、おいしいものを食べてみよう。
 
辛すぎて食べられなかったらもったいない。 念のため、ラ王とコラボさせた(混ぜた)。  添付のタイ調味料は4分の1だけにした。 

 

ラーメンもごちゃまぜ。

 

めっちゃ辛かったbearing
けど、心が数分タイへ飛んだ。
これはどんな店で売られていたんやろう? タイの人達は、これをどんな顔して食べたはるんやろう? 

 

そうや。
タイは微笑みの国や。

いま私はこれでええわ。

 

けれどココロは未だごちゃまぜ。。。
どーしたらええん? やっぱり時間薬っちゅうやつですかね。

2017年3月14日 (火)

ワシがワタシがもう知らん。

弟は高次脳機能障害です。同時に数種類のことを並行して考えたり実行したりできません。聞き言葉と読み言葉の理解が、複雑で長い文章になると困難です。原因は仕事中の事故。退院し、おかげさまで今では普通に一人暮らしし日常会話しアルバイトも見つかったようです。でも、能力的にはもうあまり回復しないことが、父の葬儀でわかりました。 しかも、弟は自分の欠けた能力について無自覚。これが、高次脳機能障害のやっかなところなのだそうです。

母は85歳と半年。弟が退院したころ、右腕を骨折し手術入院。固定するための金属はまだ腕の中に残っていますが、取り出し手術が老人の身体に負担がかかるということで取り出していません。認知症ではありませんが、まぁ老人ということでたまに言うことがヘンだったりします。 難聴です。 ひとに頼るのが嫌いで頑固さが最近増してきてます。

この2人といっしょに、今回の通夜・葬儀・料金等々の打ち合わせや説明が、父がセレマの霊安室へ運ばれた直後(深夜)・次の日(通夜の前日)・当日2日の時々・葬儀の次の日、と続きました。 私達3人は、父を霊安室へ送り届けた時点でもう体と心が疲れていました。私も頭が朦朧としていました。

私達3人が並ぶと、セレマの職員さん達からしたら、熟年の男性つまり弟が、打ち合わせのメイン(窓口)であると思われます。 

弟も今回、自分は長男であるので、中心になって動きたい・しきりたい。 
母は、夫が亡くなったら連絡は自分でしたいし、夫がしたかった形式で通夜・葬式をしたい、とだけ思っている。
けれど、トントンと進めていこうとしているセレマの方は、たくさんのことを説明し、決めていかねばならない。

最初は私も「ゆっくりとはっきりとしゃべってやってください。」と母の難聴を理由にお願いしていたのですけど、それでは葬式・初七日までとてもじゃないけど終わらないことに気づいてきました。 弟は、わからない。母は、聞こえない。両人とも、興味のあるとこだけしか覚えていけない。

たとえば、、、、

【エピソード①】  通夜の前日。 病院への支払い等で、弟がさんざん「ワシがする」と主張したので、言い合いの末、私は引き下がることに決めたその後で。  *セ=セレマの担当者

セ:今回、親戚などへ連絡されたのはどなたですか?

母:私です。

セ:通夜・葬儀・斎場へはそれぞれ何人ぐらい参加されるのでしょう? 料理や供養や斎場への車の手配もありますので。

母:そんな失礼なこと、いつまで参加してもらえますかなんて、とてもじゃないけど聞けへん!私もいままでそんなこと尋ねられたことないわっ!

セ:だいたいで・・・・・。

母:だいたい、も、わからん。

セ:昨夜、連絡するときに尋ねてくださいと、お話してたかと思いますが。。。

母:もー知らん!そんなん言うんやったら勝手にやって。(と、部屋を出る)

セ:それなら、どちらかが電話で聞いていただけますか?

私:弟がするそーです。(私もまだ腹を立てている)

弟:じゃぁ、ワタシが。(満足気)

私:ほんまにできるん? ちょっと練習してみよか? 言うことわかる?(と、セリフをメモして弟に渡す)

弟: (うまく言えない)

母:そんなこと、さしてやらんときっ!

やっぱりあかん。 と、ここで私がセレマ担当者の方へ、弟の高次脳機能障害を伝えました。 担当者の方はちょっと戸惑われたようでしたが、なんせ決定することは山ほどある。決めて所業者へ発注もかけなければならないのでしょう。 窓口は長女(私)と、されたようでした。でも、ふたりのいるところで話を進めないでいるとまた「聞いてない。勝手に決めた」となってやっかい。 二人に居てもらい、時々、繰返し説明と確認をとりながら、セレマ担当者と目くばせしながら、母の話を聞きだしながら、どうにかこうにか、予想で人数を多めに決めました。

【エピソード②】 通夜式の後の食事会で。

この時も、まだ決定しきれてないことや確認したいことがあって、私はセレマ担当者とたびたび話をしていました。また、来ていただいた方々の話(父との関係や思い出話)を聞くのも私でした。 

こんな、父が亡くなったときにも、おなかはすくんですねぇ。ペコペコでした。あー早く座って一口でも二口でも食べたい飲みたい。と思いながら、明日の、親族代表のお礼の言葉も私が言うことにして、相談していると、それまで親戚の方々と話しながら寿司を食べていた弟が私達を見て、こっちにきました。

弟:あの~。聞きたいことがあるんですけど、、、。

セ:(私との間に入ってくださって)なんでしょう。なんでもどうぞ。

弟:柩の中にあの桜(壇にかざってあった)は入れてもらえないんですか?

セ:枝がいっぱいありますからねぇ。身体が傷ついたりするからあまり枝ものは入れないんですけど。 花屋といっぺん相談してみますね。

と、弟は納得してまたテーブル席へ食べに。 そうこうしてるうちに食事会も終わってしまい、私が、残ってる寿司をこっそり食べようとしていると、弟も真似して立ったまま食べ始めました。 みんなが帰ろうとしているときに、故人のこどもふたりがテーブルの残り物を立って食べてる図。 悲しくなって、小皿に急いで盛り、親戚の方々を見送りにいったのでした。姉は食べられなかったんだから見送りは自分が、という判断、してほしかったなぁ。

私が担当者と打ち合わせしていると自分もなにか話そうとしに来る。私が食べようとすると、満腹にもかかわらず自分も負けじとまた食べようとする。 おんなじことを「ワタシもできる」という自己表示なんでしょうか? 私が出ると弟が別のことで出てくるから担当者の仕事が増える。私が引くと、弟も引いているから当然なにも進まない。

次の日、葬式の後、母がセレマへの文句を、私に言いにきました。
「なんで、桜なんか柩に入れるんやろう、セレマは。 あんなもん入れるの、見たことない」と。

担当者の方は、弟の意をくんで、花屋に桜花の部分だけを細かく切ってもらえるよう頼んでくださったのでした。

.

他、病院でもお寺さんの前でも、区役所等の後始末(手続き)のことでも、いろいろいろいろ。。。。。。 いろいろいろいろ。 私にすべて任せてもらえた方が、少なくとも頭はこんなにコンランせずに済んだものを。二人とも、自分がやりたいもんで。 自分でできるように繰り返し時間をかけて私から説明し、メモを作り更新し、じっと見て待つ、時には怒りながら。ううううぅ。

悲しみや喪失感よりもアタマが疲れてなにがなにやら状態。
息子がすぐに駆けつけてくれたのがなにより有難かった。
頑固な老母とややこしい弟が残って、私の立場を理解してくれてた父がいなくなって、
 これからどうしたらええんやろう?

父の死と父の人生に、ひたすら思いを馳せたいです。

こんなときに不謹慎だとは承知の上で、「なに甘いこと言うてるんや、ひとりだけ苦労したみたいに」と思われることを承知の上で、書かずにはいられませんでした。アマイなぁ。

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