「こういうのって、男の本能に向いている仕事じゃないですよね。縄文時代からそ
うじゃないですか。男は狩りに行って、女は家を守りながら木の実や野草を集めて帰りを待つ。こういう作業って、脳の仕組み的に、女が向いている仕事ですよね。」
「こんな小さな店の雇われ店長って、それ、負け組ですよね。底辺がいばってんじゃねぇよ、・・・ この店ってほんと底辺のやつらばっかですよね、コンビニなんてどこでもそうですけど、旦那の収入だけじゃやっていけない主婦に大した将来設計もないフリーター、大学生も、家庭教師みたいな割のいいバイトができない底辺大学生ばっかりだし、あとは出稼ぎの外国人、ホント、底辺ばっかりだ」
ぬぁあーんや、こいつ!
とムカつきながら読んだ一冊でした。ムカついてたおかげで、読むのが遅い私なのに数時間で読めました。
こんなことを言ってるのにコンビニで働いている白羽というヤツ。 わけわからん! 婚活のためにここで働いてるんだ、結婚すれば「結婚した方がいいよ」と‘叱られ’なくてすむから、とのたまいながら遅刻したり勤務中のレジでスマホのぞいてる。女性の、宅急便の住所を写メしたりしてクビニなった後も、つきまとってた女性を待ち伏せしたりする。
いるんですよねぇ、今、私の職場にも、ここまでじゃないにしても妙なのが
。私が廊下に出るたびソイツもやたらとトイレに行くなどしてすれ違う。貴重な休日、ソイツを思い出してしまった
(ほとんどの方々は、前にも書いた通り、心優しい方達です
)。
話もどって、主人公の古倉さん。 18年間コンビニアルバイトを続け、結婚もせず、正社員でもないアルバイト36歳。 「なぜなのか?」と聞かれ続け、カラダがヨワイからと言い訳を考える。それ以上追求されないための最短の言葉。 これはなんとなく同感できる気がするなぁ。 「なぜその歳で、大した貯金もないのに離婚し、正職につかずアルバイトなのか?」 と尋ねられたら、今までの*0年間の思いや生立ちを延々と語らねば、尋ねた相手に納得してもらえない気がする。読みながら、頭ン中はそこに通じていました。
私は若い時から「みんなと同じ」とちょっと違うところを行くのが好きでして。。。 ‘ちょっと’というのが私の弱いところでして。。
。 例えば、二十歳になったからといって着物着て成人式に出る必要はない、と、親が成人式の着物のために貯めたお金をもらい、ひと月あまりカナダ・アメリカ・メキシコの西海岸を周ったり。成人式にも出席せずにね。
‘みんなとおなじ’を‘幸せ’と勘違いしないようにしたい。 と、今も思ってる。 本当にそれで自分が幸せを感じられるのかと問い続けたい。 けどそれは、別の角度(人達)からみたら‘言い訳’になるのかもしれないなあ、白羽の言い訳と紙一重なのかもしれないなあ。‘みんなとおなじ’にしなかったために、周りの人間をたくさん傷つけてもいる。
古倉さんは、女性を待ち伏せしてた白羽を自分のアパートへ連れていく。これは私にはできない(思いもつかない)。屋根と壁のある場所に居させてもらい、食べさせてもらってるのにもかかわらず白羽は考える。コンビニアルバイトじゃ僕を養えない、と。あろうことか、古倉さんに就活させようとするんだけど、話の最後で古倉さんが言った言葉にほっとしました。
「私は人間である以上にコンビニ店員なんです。人間としていびつでも、たとえ食べていけなくてのたれ死んでも、そのことから逃れられないんです。私の細胞全部が、コンビニのために存在してるんです」
彼女の言う‘いびつな人間’とは、結婚もせず正社員でもないアルバイト36歳。みんなに「なぜ」と問われ続ける人間のことだと、私は受け取りました。大丈夫。あなたはいびつじゃない。それだけ一生懸命に仕事してるのだもの、野垂れ死になどしない。あなたは、コンビニのプロです。
と、自分にも言い聞かせて本を閉じました。
*「コンビニ人間」by村田沙耶香 (文藝春秋)
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