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えとせとら

2017年6月26日 (月)

ちょっといいこと

カナート(大型スーパーかな?)の新しいポイントカードにチャージしたらば、宣伝担当の店員170611_2
さんにこーんな、金色のモノをいただきましたdollar

「わぁ~、金の延べ棒ですかっ?」
「延べ棒をさしあげられたらいいんですけどねぇ、すみません。( ̄ー ̄)ニヤリ」

ティッシュペーパーでした。

部屋に置いておくと、なんだかうれしくなります、金色に。 色だけでもうれしい! 金色って、ワクワク色なんですねぇ。今まで金より銀の方が色としては好きだったんですけど。

プラス、5%割引券もついて、まあうれしいこと!

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せっせとシールを貯めて応募した「ゼッタイもらえるキャンペーン」。161229_

来ましたよ、のどごし生350ml缶セット。 

2回目は1回目の応募より缶数が減ってましたが、、、ふっ、、、とうれしい宅急便でした。

ふっふっふbeer

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それから先日は、髪がきれいと褒められて、気分上々。 きれいにしたのは美容師さんなのだけれど、うれしいものはうれしいnote。 ひとことでその日がいい日になりました。 言葉って不思議。 言葉は言霊(ことだま)。 私も、いい言霊を発せられる人でありたいなあ。

ちょっといいことを見つけられる心がもどってきたようで、これまたうれしいこの頃ですconfident

 

2017年6月24日 (土)

ツバメ

ツバメが低く飛ぶと雨が近い。
これは本当で、雨が近くなるとツバメの餌である虫がたくさん低いところを飛んでいるのだからだ、というのを小学生の頃「なぜなに教室」とかいう本で読んだこと、この季節になると思い出します。

通勤途中の家の軒先にツバメの巣があって、親鳥が一生懸命ヒナにエサを運んでいます。巣からは3~4羽のヒナがこれまた精一杯首出し口あけて「エサくれ~。次はボク次はワタシ。」と主張すること主張すること。 鳥の世界も、親というのはタイヘンだ。と思いつつ、地下鉄の駅へと急いだある日。 この日は、明日から梅雨空がもどるという予報の日で、親ツバメは低空飛行で朝から働いておりました。

で、仕事帰りにそのツバメのある家の前を通ろうとすると、、、、
車に轢かれたツバメが一羽、道路にsign01 
ここの親ツバメかsign02 と、巣を見上げたら、ヒナ達の顔が朝と同じように並んでるのだけれど、鳴かず動かず。

親が死んでエサがもらえず、ヒナ達も死んでしまったんやろか。。。。

次の日も、通勤の生き帰りに見上げた巣には同じようなヒナ達の顔並び。動かず鳴かない。

近所の人達も気づいてはるんやろなぁ。けどなぁ、どうしようもない。このままほおっておいたら、どうなる? カラスとかが食べにくる? ヒナ達が腐っていく? 道路に張り付いたツバメはだんだんカタチもなくなっていってます。

次の日の帰り。

なんと、その巣から、ツバメのヒナの声がっsign01
ヒナ達が大きな口をまた精一杯あけて主張していました。
生きてたんや! よかった!
近くを一羽のツバメが忙しそうに飛んでいました。この間までの親より一回り小さなツバメのように見えましたが。。。 巣の中から顔出してるヒナの数が増えてました!

どーゆーこっちゃ。? ? ?


170623_1741

車に轢かれたのは、親じゃなく、ヒナのうちの一羽やったんやろか。巣から落ちたとか。
親は轢かれたんやけど、そのうち、ヒナのうちの一羽が巣立
って、親の代わりにエサを運んできて、兄弟たちを育ててるんやろか。
それとも、別のところから大人のツバメがやってきて、代わりにこのヒナ達を育ててるんやろか。

まあ、ともあれ。
この巣からはまたヒナ達のかまびすしく元気な鳴き声が響いて
いるこの頃です。
命が続くというのは、嬉しいことです。
ここのヒナ達、もうじき巣立ちかな?

2017年6月18日 (日)

大台にのったという勘違い

今度、誕生日が来たら、何度目かの大台に乗る。 
今度、誕生日がきたら、、、、
今度の誕生日で。
今年だ。
いよいよだ。。。。。

と、思っているうちに、もう大台に乗ってしまった気がしていました。 誕生日はまだまだ先であるのに、です。

で、「抽選で素敵なプレゼント」というアンケートの年齢欄に、1歳をプラスしている自分がいます。(アンケートごときに素直すぎかい?) 手帳も靴下も、無意識に赤色を選んでしまっております。

いかんいかんsweat01。 と、たとえば病院で「この保険証は、ご本人のモノですか?」なんていう質問をまだまだ聞いていたい気がする。

反面。

いいやん。ありのままの、自分が重ねた歳で、自然に生きていけばいいやん。という境地に至ってしまえる自分もいる。このままス―――――っと今年の誕生日を過ぎて、早く年金年齢に達してしまいたい気もする。

揺れる熟年、なのである。170418_1002


而して、

まだ大台に乗っていない私は、まだまだもらえない年金の皮算用をしつつ、明日からも職場へと通うのであった。    チャンチャン。

*今の職場(部屋)は6階です。くるっとPCチェアを回してふり向けば、空と山と街が見えます。ふり向けば比叡、です。 虹がふたつ見える日もあるとか。楽しみです♪

2017年4月30日 (日)

口(くち)はバレバレのもと (^-^;

職場での会話。昼休み。

 

20才代かなの人:「(風)さん、今日の髪、サラサラですよぉ~~。」
そうお?雨が降ったら、このくせ毛がバクハツするんです。そんなん言うてもろたら嬉しいわあ。昔からあこがれなんですよね。コマーシャルみたいな髪。♪ふりむぅ~~かないでぇ~♪なんていうコマーシャル、なつかしいなーー。
20才代かなの人:「・ ・ ・ ・ 。なんのコマーシャルでしたっけ。。。」
エメロンちゅうシャンプーのコマーシャルがあってねーー、
と言ったところで年齢ヒントと出してしまった気がして、しまったsweat01
同年代かなの人:「なつかしいですねーーー。( ̄ー ̄)ニヤリ」

また別の日。 

40才代かなの人:「(風)さんは、苦手な食べ物ってあります?」
別に、なんでも食べますよ~。蜂の子は、だめかなぁ。あflair 牛乳は今まで生きてきてまだ一回も美味しいと思ったことがないんです。なんかね。。。幼い頃の、脱脂粉乳のニオイがいまだ鼻について離れないんですよねーーー。
40才代かなの人:「だ・・・・・っしふんにゅうは、飲んだことがないからなぁ。そんなにヘンなにおいなんですか?」
おっとsweat01 またヒントを出してしまった~ぃ。。。 
170427_

しかしやっぱりthink 

言わぬが花。秘すれば花。あーあ。

 

さてさて、
もの言わぬうちの花たち、ほったらかしなのに、今春はよう咲いてます。ほったらかしていたから、ですかね。 ワイルドだろぉ~~up
  (藤とカロライナジャスミンです。)

このGWは、実家通いの合間に、これまたりっぱに茂った雑草の手入れをしたいところです。

2017年4月 8日 (土)

建築から難病へ、

新しいところに身をおくというのは、なんてエネルギーが要ることでしょう。年々、ひしひしと感じます。 新しい職場の、人の顔と名前・物の在り処・職務室やエレベーターやトイレの位置から、もちろん、仕事そのものも。

 

先月までは建築計画概要書(こんな名前の書類があったんだflair)の処理を一部担当していました。民間企業から届いた概要書の収受簿(エクセルの表)を入力したり、公開できるページだけを抜きとってコピーしたり、整理・保存したり。。。

 

今月からは(といってもまだ1週間しか経ってないけど)、難病に関する書類を処理しています。 入力は、3年前に派遣でやってた仕事に似ています。抜き取りコピーは、先日までしていたのと似ています。役に立っています、力になっています、今までやってきたこと。 これは実感です。 

 

‘時間’という貴重なものを使って得てきたことは、積み重なっている。これぞ履歴。キャリア。私の、短い歴史。170403_1247

 

なーんて。

 

昼休み、桜を眺めてリフレッシュ。

 

旧館の中庭。

 

少し歩いての御所はとってもな人々。170405_1236

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人がいてもいなくても、桜は今年もちゃんと咲く。

父はもう今年の桜を見られないんだなぁ、去年の桜はバスの中からでも見られたのに。

と、思いはせる昼休み。

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.170408_1033

今日は、高野川沿いの桜がきれいです。 
雨の空気にけむって咲いています。


2017年3月30日 (木)

心強きは我が子

息子にとっても祖父の死はけっこう大きなことだったのではないか。 

彼が今までで通夜・葬儀に並んだのは、保育園のときと小学校低学年のとき(たぶん)。 どちらも遊び仲間で、どちらも交通事故だった。昨日までここでそこで一緒に遊んでいた友達が、もうぜったいあらわれないという寂しさ、そして、子どもが亡くなったら親はくるったように悲しむのだということは目の当たりに感じただろう。

だけど今回はもっと身近な祖父であり、正月に会ったときは嬉しそうに優しく微笑んでくれてた人が、次に会ったときは死んで動かなくなっている冷たいカラダになっていたという事実。燃えて、骨と灰になって出てきた(後で知ったことだけれど父の骨年齢は40歳代だった!)という事実。彼なりに思うことがたくさんあったのだと思う。

私は、
息子がおとなになっていてよかった。

すぐかけつけてくれた我が息子は、今回、とてもとても心づよかった。帰宅後すぐだのに、私の話を黙って延々と聞いてくれ、通夜あたりからはこまごまと手伝ってくれた。 あの数日、いちばん頭がクリアだったのは彼だった。 弟の様子も、初めは「別にあんまり。お母さんの言うようには思わへんで。」と言ってたが、だんだんと何かを感じてくれたよう。 わかってくれる人がそばに居るというだけで、こんなにも心のよりどころになるのだなあ。

母(私)が悲しみながら混乱しながらあたふたしているのを見てか、いずれ母も年とっていくと思ったのか、葬儀の後、家まで運転してくれた彼が、助手席に座ってる私に言った。
「もうちょっとしたら、こっち(自分が住んでる町)に来る?」

ぇぇぇぇぇ。私は、いま住んでるとこが好きやしなぁ。 もっとよれよれの年寄りになったら考える。
「よれよれの年寄りになったら、その時には、よれよれになったっていうことがもうわからへんのとちがう?」
なんていうやりとりをしたけれど、今回の彼の有難さ頼もしさを思い、それもありかなと初めて思った。

みなさん、もしかしたらわたし、関東人になるかもthink。。。
いや。
今じゃないっすよ。

2017年3月26日 (日)

ごちゃまぜごころ

思えば3月は朗読レッスンも行けずじまい。しかたないね、こんな時だもの。

 

と、自分に言い聞かせていた(いえ、家でも練習する心のゆとりがなかった)ところ、先日、母が言った。
 「ハンドベルのレッスンには行ってきた。1回でもレッスンが抜けると忘れてしまうからな。」

 

(・_)エッ....?  ・  ・  ・  。  はあ~~~~?  
 
しかもそれは通夜のたった1週間後だったらしい。

 

また別の日には
 「四十九日が済んだら早く納骨を済ませたい!」
 じゃ、次の日にでも
 「次の日はあかん。京フィルの演奏会に行く。」 

 

はあ~~~~? (゚Д゚)ハァ?  ハァ?
どーゆーこっちゃ。 母はこんな時に趣味が第一かぃ?
まぁ。。。ハンドベルも京フィル鑑賞も、いつも父と2人で楽しんでたことなので、それも関係あるのでしょうか?
しかし私は、父の死に関わる一連のことや、それにまつわる母・弟の言動や、自分の食い扶持(父が私に残したものdollarについての話は全く出ない)のことでアタマがいっぱいのこの数週週間だったことを思うと、なんだか胸にストンと落ちてこない。アタマで理解できない。これは私自身の性格のモンダイか?

 

こころがごちゃまぜ状態。とにかくココロを少しでもスッキリさせたい。

 

と、
あろうことか、私は平安神宮へお参りに行った。帰宅後PCで調べてみたら、喪中50日は神社へ入ってはいけないとか。知らなんだ~。 50日過ぎたらまた謝り参り(?)に行こう。
と、

見つけた聖書。 音読してみた。 これは、いいのだったか?  
そしてここ数日、起床後の自己流瞑想タイムも。 

あ~とにかくココロを少しでもスッキリさせたい。170320__2

そこで見つけた袋麺note。ひと月ほど前、職場でタイ土産にもらった袋麺。「と・・・・・っても辛いですから、家で食べたほうがいいですよ。」と言われ、持ち帰った袋麺。 そうだflair、おいしいものを食べてみよう。
 
辛すぎて食べられなかったらもったいない。 念のため、ラ王とコラボさせた(混ぜた)。  添付のタイ調味料は4分の1だけにした。 

 

ラーメンもごちゃまぜ。

 

めっちゃ辛かったbearing
けど、心が数分タイへ飛んだ。
これはどんな店で売られていたんやろう? タイの人達は、これをどんな顔して食べたはるんやろう? 

 

そうや。
タイは微笑みの国や。

いま私はこれでええわ。

 

けれどココロは未だごちゃまぜ。。。
どーしたらええん? やっぱり時間薬っちゅうやつですかね。

2017年3月23日 (木)

合間の就活

先週末はアルバイト仕事の最終日でした。170317__3


3つの課にまたがる仕事でしたので、言い換えれば3つの課の人達に教えていただいたり助けていただいたり声かけていただいたりと、大変お世話になりました。 それぞれの課(シマ)にお礼の挨拶をして周り、いただいた花束や持ち込んでた座布団・置き傘・ウェットティッシュ等々が入った紙袋を抱えて、階段を駆け降り~~~、

どこへ行ったと思います?

ハローワークですよハローワーク。
できれば4月からまた働きたい働かねば。 

亡き父四十九日の打ち合わせもあるし、ひとりになった母も気にかかるけれど、とにもかくにも、とりあえずは自分の食い扶持を維持せねばなりませぬ。 すでに決まっていた面接は葬儀等のためキャンセルしておりましたので、急がねば4月からの採用に間に合うところがどんどん減ってしまいます。しかも次の日からは3連休。面接担当者がいなければ、面接のアポもとれません。

どいうわけで、文字通り、走りました、ハローワークへ~~~~run。  荷物かかえて、ハローワークへ~~~~runrun

で、火曜日は面接。と、エクセルのテスト。 
なんだかね。やっぱり精神的に不安定なんでしょかね。終わってみたらばミョーにテンパっちゃってた気がして、あかんかなぁと不安な毎日。 今までは、採用ならば早くに連絡TELあることが多かったのに、音沙汰無し。 やっぱなぁ。あかんかなぁ、って。

今日も今日とて、実家で母とまたややこしい言い合いをし、私は話がなかなか通じず進まないことにイライラし、
母が
「もーーーそんなごちゃごちゃ言うんやったら、一周忌なんか、せえへん!」
となってしまったのを
「そらあかんやろぉ」
となだめ(大声で)、気分はギトギト。 心のもう一方では、あーもー不採用みたいやし明日はまたハローワーク行きやなー、とごちゃまぜ気分で運転していた帰り道。

先日面接したところから採用通知TELshine

ほよぇ~~~~。よか・・・・・・・・・・った。

「いっしょに仕事をさせていただきたいということになりました。」
という、担当者の方の話しぶりにも肩の力が抜けました。

や・・・・・・・たぁ。5月の収入確保!
・・・・ よかった。 ほ。

2017年3月12日 (日)

よう見ときや。

草木や花の名前を私にたくさん教えてくれたのは、父でした。 

 

昨夏、息子のスマホを通して家の中にポケモンが居るのをのぞき、
「こ~んなもんが見られる時代にまで生きてられてよかった!」
と笑顔の父でした。
けれど、2回目の東京オリンピックも一緒に見てやぁという私の言葉には返事を濁していました。

 

もういつ命が終わってもおかしくない、と病院で宣告されてから3年ちかく生きていてくれました。最近は肺癌(余命約半年)も発覚。 さぞや恐ろしかったことかと。。。

 

あの朝、母からTEL。「おじいちゃんが救急車で搬送された。もうあと時間のモンダイらしい。」
看護師さんがTELを変わったようで「時間ではなく、分を争います。すぐ来てください!」

 

思いつくものを持って、車で病院へ。 

 

病院の中の一番良い個室で、朝着ていた服のまま、父はうなっていました。父のそばに寄ろうとすると弟が
「医者の話を聞きますか?ワタシはさっき聞きました!」

え?そんなのもうだいたいわかってる。直径10センチにも膨らんだ腹部大動脈が破裂したのだ。もう助からないのだ。最期の数分かもしれないのだ。もう生きた父には会えないかもしれないと思いながら車を運転してきたのだ。医者の話を今更聞く場合やないやろ。と、思ったが、父を見ると苦しんではいるが‘あと数分’ではないようだったので、とりあえず当直の医師のところへ。

 

話を聞くというよりも、医師に「生きる時間が短くなってもいいから、とにかく今の苦痛をやわらげてやってほしい。それは本人からも以前から何度も伝えられているから。」とお願いしました。

病室へもどると、父は「痛い痛い。だるい。しんどい。」と何度も訴えて(つぶやいて)いました。母・弟と3人で背中や腰をさすりました。痛み止めの薬を入れてもらったのですが、「なかなか効いてきぃひん。痛い痛い。」と父。

この時はまだ会話ができましたので、私は「ここ上等の部屋やでぇ。」とか「さっきな、室温が28℃やったわー。」とか「御池中学の横の桜はもう咲いてるらしい。」とか、父の気のまぎれるようなことを脈絡なく話し続けました。父は痛いだるいしんどいの合間に「へ~。」とか「ほんまか。」とかの相槌をうってくれました。 あんなにしんどい最中に「ああ、そうやって扇いくれたら気持ちいいわ。ありがとう。」と言うてくれました。 

母は難聴なので(補聴器は持ってきてなかった)父がなにか言うたび「今なんて言うてるん?」と聞きます。 私が大きな声で父の言った言葉を繰り返しました。

数時間後また痛み止めを。すると父は少しラクになったようで午後すこし眠り(?)ました。
弟が「ワタシは少し帰って休んできます。帰るなら今のうちやろ。母(呼びかける二人称でも弟はこう言う)も、いっぺん帰ってきたら?」と言い出したので、
えええぇぇー、分を争っていたのではなかったのかーと私は思ったのだけれど、母も「ほんなら補聴器と電話番号書いてある紙とケータイの充電器をとりに帰りたい。」と言い、交替で帰ることに。(これでよいのか?父は良くなったのではないんやで。)

夕方。痛み止め効果がきれてきたようで、また苦しみだしました。実家から父のパジャマも持ってきていたから、少しでも体がラクかと着替えさせました。「息が苦しい。ベッド(上半身)を上に傾けて。下に傾けて。あつい。」と訴え続け、体は冷たいのに汗をかき、だんだん肌が黄色くなっていきました。私はベッドを上に下にとリモコンを操作し続け、母は父の額に置いた濡れタオルを交換し続けました。

そのあたりで、夜の当直の医師が来られ、もう少し強い痛み止めをとお願いしてる間に、父が静かになり、見ると目の焦点が合わなくなっていました。痛み止めや酸素吸入が先だったのかもしれません。じっと私の顔を見ているようでしたが、たぶん見えてなかったんやろなぁ。

看護師の方が「最後までいきているのは聴覚ですから、話しかけてあげてください」と教えていただいたのですけど、なにを話していいのか。 母といっしょに、父がよくハーモニカで演奏していた曲を歌い続けました。「ふるさと」を歌ったときは、右手で弟の手をぎゅっとにぎり、なんと私がさすっていた右足が拍子をとるようにヒョンヒョンと動きました。何曲か歌ったころ、息をしなくなり、しばらくして、心臓も止まりました。

ああきょうは長い一日やったね痛かったねと、母が父に言いました。

夜の9時半でした。

人間が死ぬところをよう見ときや、ちゃんと見たか、と父が言った気がしました。父が、私に最期に教えてくれたのは、これなんやな。
うん。ちゃんと、見たで。

と、気持ちをかみしめる間もなく、死亡診断書は何通いりますか?どこの葬儀屋さんに来てもらうか決めておられますか?という話に。
「もいっぺん帰らなあかん。電話番号がわからへん」と母。
夕方とりに帰ったやん。
「あれはな、明日おじいちゃんと行くはずやった音楽会に行けへんからその連絡をせなあかんと思うて。」
したん、連絡?
「したよ。」

・・・・・。いつのまに。。。。
「じゃあワタシもいっしょに実家へ行きますpaper
と弟が言い出したから、父を置いて三人でこの場を離れたらあかんことを説得し、葬儀屋へ連絡するべくまた実家へと車を走らせたのでした。

2017年2月19日 (日)

まだまだ冬どすどす、か?

たまに降る陽ざしが明るく広くなってきました。

が、やっぱりウチの家ん中は寒い! 予報で「今日は晴れるでしょうsun」な日は、雨戸や障子を開けて出勤するんですけどね。帰宅したらやっぱりまた夜で、やっぱり室温は低いです。5℃とか。

氷点下になってないのに凝固するもんがある、ってことに気づきました。170128_hohoba_5

足マッサージ用に買ったホホバ油。ボトルの中で、まるで砕けた樟脳みたいにキラキキラと固まってます。逆さにしても出てこないので使えません。ちなみにストーブの前において暖めてみたら、こんな感じに。けどな、定位置に置くとすぐまた元の砕けた樟脳状態。

春まで待つか、足マッサージ。。。 

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シンク下に保存していたオリーブ油もドロドロになって出てこない状態だったので、ガス台横に移動。したらば今は分離してます。上の方は液体に戻ったので、これを使ってます。♪ドロドロになる前よりもい~い匂いがします。草のにおい?果物のにおい? 下の方のまだドロドロ部分がどんな匂い・味になってるのかは、春になってのお楽しみ。(ちょっとコワクもある。)

ハチミツ、しかり。

ついでに、

私のカラダ、しかり。

温度が下がるとカタマル。これが、自然というものなんでしょうね~。
けれど、はやく、春暖、来ないかな、ウチの中にも。

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