えとせとら

2017年4月 8日 (土)

建築から難病へ、

新しいところに身をおくというのは、なんてエネルギーが要ることでしょう。年々、ひしひしと感じます。 新しい職場の、人の顔と名前・物の在り処・職務室やエレベーターやトイレの位置から、もちろん、仕事そのものも。

 

先月までは建築計画概要書(こんな名前の書類があったんだflair)の処理を一部担当していました。民間企業から届いた概要書の収受簿(エクセルの表)を入力したり、公開できるページだけを抜きとってコピーしたり、整理・保存したり。。。

 

今月からは(といってもまだ1週間しか経ってないけど)、難病に関する書類を処理しています。 入力は、3年前に派遣でやってた仕事に似ています。抜き取りコピーは、先日までしていたのと似ています。役に立っています、力になっています、今までやってきたこと。 これは実感です。 

 

‘時間’という貴重なものを使って得てきたことは、積み重なっている。これぞ履歴。キャリア。私の、短い歴史。170403_1247

 

なーんて。

 

昼休み、桜を眺めてリフレッシュ。

 

旧館の中庭。

 

少し歩いての御所はとってもな人々。170405_1236

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人がいてもいなくても、桜は今年もちゃんと咲く。

父はもう今年の桜を見られないんだなぁ、去年の桜はバスの中からでも見られたのに。

と、思いはせる昼休み。

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今日は、高野川沿いの桜がきれいです。 
雨の空気にけむって咲いています。


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2017年3月30日 (木)

心強きは我が子

息子にとっても祖父の死はけっこう大きなことだったのではないか。 

彼が今までで通夜・葬儀に並んだのは、保育園のときと小学校低学年のとき(たぶん)。 どちらも遊び仲間で、どちらも交通事故だった。昨日までここでそこで一緒に遊んでいた友達が、もうぜったいあらわれないという寂しさ、そして、子どもが亡くなったら親はくるったように悲しむのだということは目の当たりに感じただろう。

だけど今回はもっと身近な祖父であり、正月に会ったときは嬉しそうに優しく微笑んでくれてた人が、次に会ったときは死んで動かなくなっている冷たいカラダになっていたという事実。燃えて、骨と灰になって出てきた(後で知ったことだけれど父の骨年齢は40歳代だった!)という事実。彼なりに思うことがたくさんあったのだと思う。

私は、
息子がおとなになっていてよかった。

すぐかけつけてくれた我が息子は、今回、とてもとても心づよかった。帰宅後すぐだのに、私の話を黙って延々と聞いてくれ、通夜あたりからはこまごまと手伝ってくれた。 あの数日、いちばん頭がクリアだったのは彼だった。 弟の様子も、初めは「別にあんまり。お母さんの言うようには思わへんで。」と言ってたが、だんだんと何かを感じてくれたよう。 わかってくれる人がそばに居るというだけで、こんなにも心のよりどころになるのだなあ。

母(私)が悲しみながら混乱しながらあたふたしているのを見てか、いずれ母も年とっていくと思ったのか、葬儀の後、家まで運転してくれた彼が、助手席に座ってる私に言った。
「もうちょっとしたら、こっち(自分が住んでる町)に来る?」

ぇぇぇぇぇ。私は、いま住んでるとこが好きやしなぁ。 もっとよれよれの年寄りになったら考える。
「よれよれの年寄りになったら、その時には、よれよれになったっていうことがもうわからへんのとちがう?」
なんていうやりとりをしたけれど、今回の彼の有難さ頼もしさを思い、それもありかなと初めて思った。

みなさん、もしかしたらわたし、関東人になるかもthink。。。
いや。
今じゃないっすよ。

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2017年3月26日 (日)

ごちゃまぜごころ

思えば3月は朗読レッスンも行けずじまい。しかたないね、こんな時だもの。

 

と、自分に言い聞かせていた(いえ、家でも練習する心のゆとりがなかった)ところ、先日、母が言った。
 「ハンドベルのレッスンには行ってきた。1回でもレッスンが抜けると忘れてしまうからな。」

 

(・_)エッ....?  ・  ・  ・  。  はあ~~~~?  
 
しかもそれは通夜のたった1週間後だったらしい。

 

また別の日には
 「四十九日が済んだら早く納骨を済ませたい!」
 じゃ、次の日にでも
 「次の日はあかん。京フィルの演奏会に行く。」 

 

はあ~~~~? (゚Д゚)ハァ?  ハァ?
どーゆーこっちゃ。 母はこんな時に趣味が第一かぃ?
まぁ。。。ハンドベルも京フィル鑑賞も、いつも父と2人で楽しんでたことなので、それも関係あるのでしょうか?
しかし私は、父の死に関わる一連のことや、それにまつわる母・弟の言動や、自分の食い扶持(父が私に残したものdollarについての話は全く出ない)のことでアタマがいっぱいのこの数週週間だったことを思うと、なんだか胸にストンと落ちてこない。アタマで理解できない。これは私自身の性格のモンダイか?

 

こころがごちゃまぜ状態。とにかくココロを少しでもスッキリさせたい。

 

と、
あろうことか、私は平安神宮へお参りに行った。帰宅後PCで調べてみたら、喪中50日は神社へ入ってはいけないとか。知らなんだ~。 50日過ぎたらまた謝り参り(?)に行こう。
と、

見つけた聖書。 音読してみた。 これは、いいのだったか?  
そしてここ数日、起床後の自己流瞑想タイムも。 

あ~とにかくココロを少しでもスッキリさせたい。170320__2

そこで見つけた袋麺note。ひと月ほど前、職場でタイ土産にもらった袋麺。「と・・・・・っても辛いですから、家で食べたほうがいいですよ。」と言われ、持ち帰った袋麺。 そうだflair、おいしいものを食べてみよう。
 
辛すぎて食べられなかったらもったいない。 念のため、ラ王とコラボさせた(混ぜた)。  添付のタイ調味料は4分の1だけにした。 

 

ラーメンもごちゃまぜ。

 

めっちゃ辛かったbearing
けど、心が数分タイへ飛んだ。
これはどんな店で売られていたんやろう? タイの人達は、これをどんな顔して食べたはるんやろう? 

 

そうや。
タイは微笑みの国や。

いま私はこれでええわ。

 

けれどココロは未だごちゃまぜ。。。
どーしたらええん? やっぱり時間薬っちゅうやつですかね。

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2017年3月23日 (木)

合間の就活

先週末はアルバイト仕事の最終日でした。170317__3


3つの課にまたがる仕事でしたので、言い換えれば3つの課の人達に教えていただいたり助けていただいたり声かけていただいたりと、大変お世話になりました。 それぞれの課(シマ)にお礼の挨拶をして周り、いただいた花束や持ち込んでた座布団・置き傘・ウェットティッシュ等々が入った紙袋を抱えて、階段を駆け降り~~~、

どこへ行ったと思います?

ハローワークですよハローワーク。
できれば4月からまた働きたい働かねば。 

亡き父四十九日の打ち合わせもあるし、ひとりになった母も気にかかるけれど、とにもかくにも、とりあえずは自分の食い扶持を維持せねばなりませぬ。 すでに決まっていた面接は葬儀等のためキャンセルしておりましたので、急がねば4月からの採用に間に合うところがどんどん減ってしまいます。しかも次の日からは3連休。面接担当者がいなければ、面接のアポもとれません。

どいうわけで、文字通り、走りました、ハローワークへ~~~~run。  荷物かかえて、ハローワークへ~~~~runrun

で、火曜日は面接。と、エクセルのテスト。 
なんだかね。やっぱり精神的に不安定なんでしょかね。終わってみたらばミョーにテンパっちゃってた気がして、あかんかなぁと不安な毎日。 今までは、採用ならば早くに連絡TELあることが多かったのに、音沙汰無し。 やっぱなぁ。あかんかなぁ、って。

今日も今日とて、実家で母とまたややこしい言い合いをし、私は話がなかなか通じず進まないことにイライラし、
母が
「もーーーそんなごちゃごちゃ言うんやったら、一周忌なんか、せえへん!」
となってしまったのを
「そらあかんやろぉ」
となだめ(大声で)、気分はギトギト。 心のもう一方では、あーもー不採用みたいやし明日はまたハローワーク行きやなー、とごちゃまぜ気分で運転していた帰り道。

先日面接したところから採用通知TELshine

ほよぇ~~~~。よか・・・・・・・・・・った。

「いっしょに仕事をさせていただきたいということになりました。」
という、担当者の方の話しぶりにも肩の力が抜けました。

や・・・・・・・たぁ。5月の収入確保!
・・・・ よかった。 ほ。

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2017年3月12日 (日)

よう見ときや。

草木や花の名前を私にたくさん教えてくれたのは、父でした。 

 

昨夏、息子のスマホを通して家の中にポケモンが居るのをのぞき、
「こ~んなもんが見られる時代にまで生きてられてよかった!」
と笑顔の父でした。
けれど、2回目の東京オリンピックも一緒に見てやぁという私の言葉には返事を濁していました。

 

もういつ命が終わってもおかしくない、と病院で宣告されてから3年ちかく生きていてくれました。最近は肺癌(余命約半年)も発覚。 さぞや恐ろしかったことかと。。。

 

あの朝、母からTEL。「おじいちゃんが救急車で搬送された。もうあと時間のモンダイらしい。」
看護師さんがTELを変わったようで「時間ではなく、分を争います。すぐ来てください!」

 

思いつくものを持って、車で病院へ。 

 

病院の中の一番良い個室で、朝着ていた服のまま、父はうなっていました。父のそばに寄ろうとすると弟が
「医者の話を聞きますか?ワタシはさっき聞きました!」

え?そんなのもうだいたいわかってる。直径10センチにも膨らんだ腹部大動脈が破裂したのだ。もう助からないのだ。最期の数分かもしれないのだ。もう生きた父には会えないかもしれないと思いながら車を運転してきたのだ。医者の話を今更聞く場合やないやろ。と、思ったが、父を見ると苦しんではいるが‘あと数分’ではないようだったので、とりあえず当直の医師のところへ。

 

話を聞くというよりも、医師に「生きる時間が短くなってもいいから、とにかく今の苦痛をやわらげてやってほしい。それは本人からも以前から何度も伝えられているから。」とお願いしました。

病室へもどると、父は「痛い痛い。だるい。しんどい。」と何度も訴えて(つぶやいて)いました。母・弟と3人で背中や腰をさすりました。痛み止めの薬を入れてもらったのですが、「なかなか効いてきぃひん。痛い痛い。」と父。

この時はまだ会話ができましたので、私は「ここ上等の部屋やでぇ。」とか「さっきな、室温が28℃やったわー。」とか「御池中学の横の桜はもう咲いてるらしい。」とか、父の気のまぎれるようなことを脈絡なく話し続けました。父は痛いだるいしんどいの合間に「へ~。」とか「ほんまか。」とかの相槌をうってくれました。 あんなにしんどい最中に「ああ、そうやって扇いくれたら気持ちいいわ。ありがとう。」と言うてくれました。 

母は難聴なので(補聴器は持ってきてなかった)父がなにか言うたび「今なんて言うてるん?」と聞きます。 私が大きな声で父の言った言葉を繰り返しました。

数時間後また痛み止めを。すると父は少しラクになったようで午後すこし眠り(?)ました。
弟が「ワタシは少し帰って休んできます。帰るなら今のうちやろ。母(呼びかける二人称でも弟はこう言う)も、いっぺん帰ってきたら?」と言い出したので、
えええぇぇー、分を争っていたのではなかったのかーと私は思ったのだけれど、母も「ほんなら補聴器と電話番号書いてある紙とケータイの充電器をとりに帰りたい。」と言い、交替で帰ることに。(これでよいのか?父は良くなったのではないんやで。)

夕方。痛み止め効果がきれてきたようで、また苦しみだしました。実家から父のパジャマも持ってきていたから、少しでも体がラクかと着替えさせました。「息が苦しい。ベッド(上半身)を上に傾けて。下に傾けて。あつい。」と訴え続け、体は冷たいのに汗をかき、だんだん肌が黄色くなっていきました。私はベッドを上に下にとリモコンを操作し続け、母は父の額に置いた濡れタオルを交換し続けました。

そのあたりで、夜の当直の医師が来られ、もう少し強い痛み止めをとお願いしてる間に、父が静かになり、見ると目の焦点が合わなくなっていました。痛み止めや酸素吸入が先だったのかもしれません。じっと私の顔を見ているようでしたが、たぶん見えてなかったんやろなぁ。

看護師の方が「最後までいきているのは聴覚ですから、話しかけてあげてください」と教えていただいたのですけど、なにを話していいのか。 母といっしょに、父がよくハーモニカで演奏していた曲を歌い続けました。「ふるさと」を歌ったときは、右手で弟の手をぎゅっとにぎり、なんと私がさすっていた右足が拍子をとるようにヒョンヒョンと動きました。何曲か歌ったころ、息をしなくなり、しばらくして、心臓も止まりました。

ああきょうは長い一日やったね痛かったねと、母が父に言いました。

夜の9時半でした。

人間が死ぬところをよう見ときや、ちゃんと見たか、と父が言った気がしました。父が、私に最期に教えてくれたのは、これなんやな。
うん。ちゃんと、見たで。

と、気持ちをかみしめる間もなく、死亡診断書は何通いりますか?どこの葬儀屋さんに来てもらうか決めておられますか?という話に。
「もいっぺん帰らなあかん。電話番号がわからへん」と母。
夕方とりに帰ったやん。
「あれはな、明日おじいちゃんと行くはずやった音楽会に行けへんからその連絡をせなあかんと思うて。」
したん、連絡?
「したよ。」

・・・・・。いつのまに。。。。
「じゃあワタシもいっしょに実家へ行きますpaper
と弟が言い出したから、父を置いて三人でこの場を離れたらあかんことを説得し、葬儀屋へ連絡するべくまた実家へと車を走らせたのでした。

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2017年2月19日 (日)

まだまだ冬どすどす、か?

たまに降る陽ざしが明るく広くなってきました。

が、やっぱりウチの家ん中は寒い! 予報で「今日は晴れるでしょうsun」な日は、雨戸や障子を開けて出勤するんですけどね。帰宅したらやっぱりまた夜で、やっぱり室温は低いです。5℃とか。

氷点下になってないのに凝固するもんがある、ってことに気づきました。170128_hohoba_5

足マッサージ用に買ったホホバ油。ボトルの中で、まるで砕けた樟脳みたいにキラキキラと固まってます。逆さにしても出てこないので使えません。ちなみにストーブの前において暖めてみたら、こんな感じに。けどな、定位置に置くとすぐまた元の砕けた樟脳状態。

春まで待つか、足マッサージ。。。 

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シンク下に保存していたオリーブ油もドロドロになって出てこない状態だったので、ガス台横に移動。したらば今は分離してます。上の方は液体に戻ったので、これを使ってます。♪ドロドロになる前よりもい~い匂いがします。草のにおい?果物のにおい? 下の方のまだドロドロ部分がどんな匂い・味になってるのかは、春になってのお楽しみ。(ちょっとコワクもある。)

ハチミツ、しかり。

ついでに、

私のカラダ、しかり。

温度が下がるとカタマル。これが、自然というものなんでしょうね~。
けれど、はやく、春暖、来ないかな、ウチの中にも。

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2017年2月12日 (日)

こけるすりへる

ああ!まったくもって、おそろしい思いをしました!

通勤途中の踏切で。 
渡ろうとして踏切に一歩踏み出したときに警報機が鳴りました。
走って渡ってしまう? 一瞬迷ったのですけど、向こうから来た小学生が走って渡ってきたから私も、と走りました。ここで私がすべきだったことは、自分は一歩下がって停止し、小学生も声出して制止することでした。 なんと私は小学生を真似ました。

2~3歩走ったとき、身体が前のめりになりました。なんにもつまづいた自覚はありません。倒れる自分の身体をスローモーションのように感じ、手をついてこけました。が、手が身体を支えられずに顔を打ちました。頭の中がジーーン。

立ち上がらなあかん!
遮断機が降りてきてる! 駅から電車が動きだしてしまう!(この時の警報は、駅ホームに電車が来て、停車する前に鳴るパターン。) あまりのアリエナイ状況にびっくりしてしまって、一瞬身体が動きませんでした。身体が動かないと思うとよけいにこわい!

「大丈夫ですかっsign02
渡り終えた小学生が声かけてくれ、それに大声で大丈夫と応え、力を入れてえいやと立ち上がれ、遮断機が下りてしまう直前にすりぬけることができました。

少し先の横断歩道で、毎朝、子ども達の安全を守ってくださっている地域ボランティアの方がおられます。その方も旗持って声かけてくださいました。
「大丈夫?どこか痛いところはない?フラフラしたらまずしゃがむんやで。そやないとまた道でこけてしまう。」
それから
「踏切が鳴ってるのに走るやなんて、もってのほか!危ないっ」と、叱られました。

ありがたいことです。 そして、少しの時間を惜しんで、小学生を真似て走ってしまった自分がとても恥ずかしい。

もしあのとき、反対側の電車が入ってくるとき(ホームの手前に踏み切り)だったらと思うと、ほんとうにゾッとします。

こんな小さな踏切、走って渡れる。今まで走ってる時にこけたことないもん。
そんな自分への過信が、こんなことになりました。

最近、私の人生の時間も刻々と減っているのだと思うことがよくあるのですが、身体の力も、歳とともに減ってきている。筋力・バランス力・瞬発力・判断力・意志力。
自覚せねばなりませんね。反省!

ちなみに、このとき履いていたスニーカーの底を見たらツルツルでした。靴底も減っていました。買わなきゃ。。。

 マダイケル 心のおごりが 命とり

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2017年1月 3日 (火)

ぼやぁっと明けてます。

年末3日年始3日。早くも終わろうとしています。170102_0747


あ。いえ。始まったのでした明けたのでした、新しい年。 
ことしもよろしくです。 

仕事してたらできないことを、仕事してないときと同じように年末年始をこなそう(?)としたら、なんだか頭がずっとぼぉぉぉっとして、仕事の疲れもきえないまま。 久しぶりに息子に会えてうれしいんだけどうまく表せず一緒にテレビで駅伝runを見、実家に息子と帰って何にかわからず気と心をつかい、したらばなんとまあ、明日から仕事です。

息子が土産を買ってきてくれました。 一緒に食べる信州蕎麦、私への地ビー170101_k
ル、両祖父母へのお菓子。 なんと大人になったことでしょう。 土産が信州もんなのは、スノボ帰りだからですsnowboard

私も、息子や友人たちのように自分をうまく楽しませるすべをとりかえさなくてはならないのですけども。

年賀状をやめた私へ、今も年賀状を送ってくださる方々がおられます。ありがたいことです。
ちょうど一年前、アルバイトコンビ組んでた21才の女性との会話を思い出しました。

21才「最近ね、結婚しましたーっていう友達からの‘あけおめ’が多いんですよぉ~。」
私  「そのうち友達じゃなく、その子どもの写真で年賀状が来るようになるよ~。」
21才「年賀状なんて書きませんよ、フェイスブックですよ。見てくれる人は見てくれるし、返事書く人は返事をくれる。」
私 「おぉぉー。なるほど。ま、私も年賀状、辞めたんやけどね。」

ちなみに、今年の年賀状やフェイスブックに、孫が生まれましたー、っていう‘あけおめ’が多かった私なのでした。

い~~~い一年になりますようsign01  happy01

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2016年12月29日 (木)

おばはん事件

「おい、おばは~ん。」
と、カウンターの向こうから声がしている。 

今の職場は、公開されている情報を閲覧するために(役所の)外部の方々が来られる。その受付や応対のためにカウンター(実は、腰の高さのスチールロッカー)があるのだ。

私はその時、カウンターから離れたところで、下の方にある書類をしゃがんで整理していた。大事な書類をしゃがんだままで整理する。結構しんどくて、姿勢をくずすと書類の順番がバラバラになってしまうというヤバい態勢ではある。一見しゃがんでのんびりやってるように見えるのだろうが、体幹や足腰の筋力と、仕事への集中力が要る。ちなみに、私には対応するための専門知識(建築関係)がないので、対応仕事はしないこにとなっている。というか、できない。というか、してはいけないように思う。

「おーい。おばはん!」と、また声がした。 

だれやだれや。まあ口がワルイとは言え、お客様やないか。 何回もお客様にそんなこと言わせるなんて、、、。 早(はよ)ぅ対応してあげんとあかんやん。

「おいっ、おばはん!」

またやーーー。だれに言うたはんのやろう? と、書類整理の手を止めて、周りを見渡したeye。 しかし、そのお客様が向いている方向には、だれも、いない。カウンター付近では対応専門の方が順番に対応中。 他の方向には、職員の方々が数人。

「おばはんや、おばはん。」

?。!。もしかして、わ・た・し・かーーーーっ? 奥で、しゃがんで、一心不乱に書類整理してた私かいっ。

言葉の相手が自分とわかったとたん、急に腹が立ってきた。客とは言え、なんという言葉遣いぞ!annoy 係は順番に対応してるのに、ちょっとの時間、順番を待てんのか?annoy それになんやねん、私をおばはん呼ばわりとは!annoy 私は、立った腹を据えたね。そしてすっくと立ち上がった(もちろん、持ってた書類はきちんと置いて)。 おばはんですがなにか?という気持ちを強く持って、
「はいっ。」
と、お客様に負けない大きな声で、ひとこと。

「おばはん、わかるか?」

こころもち声が小さくなったような。 いやいや、そんなことやないっ。 わかるか?とはなんや、わかるか?とはannoy。 わかるか?と聞くなら何回もおばはんと呼ぶなーannoy。 それにしても、他の職員も「どんなご用件でしょうか?」とか、離れたところからでも聞きに来んかいsign02 自分の仕事だけしてる場合やないやろ。対応中の係も「少しお待ちください。」とか言うぐらいできるやろ。私の何倍も給料と年休もろて残業もできて、ボーナスもあったんやろ。(-_-X)annoy そこで私は言ってやった。さらに大きな声で、
「わかりません。係の者が順に対応しますので、もう少しお待ちください。」

「おう。」
と言ってそのお客様は順番を待ち用事を済ませて帰っていった。

そのお客様が帰られた後も、職場のだれも、ひとりも、なにも、言わなかった。 はあぁぁぁぁ。 や・・・・・っぱり、わたしはおばはんやったんやぁ。 腹が立つやら落ち込むやら。

そんなこんなの今の職場、はや任期の半分終わりました。 今日は朝から大掃除。窓拭いて、サッシのレールにたまった枯葉や枯れカエルや冬眠中のカメムシなどかき出して、電灯や鴨居の埃をぬぐって、床にワックス塗って、トイレ掃除して、角掃きしました。 もちろん洗濯や布団干しもsun。 明日は食材等の買出しに行ってきま~す。 ああ腰痛いわぁ。 

やっぱり、おばはんか。。。down

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2016年11月 6日 (日)

カタマル空間

先日は仕事中の突然な暗闇に叫んだ私でしたが、その数週間前の鳥取地震の時にも私は仕事中でした。

今の職場は、一般の方々が公開情報を見に来られるところでもあります。 なので、部屋の中が沢山の人達でざわざわしていることが多いです。 

あの日、パソコン入力していると、♪ピロリロリン♪だったか♪ピュイピュイピュイ♪だったか忘れましたが、おんなじ音があっちからもこっちからも、しかも同時にいつものザワザワ感に混じってきました。ちょっとだけザワザワ感が増したようです。空間のどこからか
  「お。鳥取で地震や。」
へぇ~~~、鳥取で。それでここ京都のみんなの警戒音が鳴るんや。って、まだ鳴ってるで。だれやだれや。消してへんのは? 
♪ピロリロリン♪だったか♪ピュイピュイピュイ♪だったかの音がまだしつこく鳴っている元に耳をすませば、、、、私のカバンからでしたcoldsweats01。そうか、私のも鳴るのね。

続いて、鳥取で地震があったから京都でも揺れにご注意ください云々という館内放送あり。

直後に、ガタガタガタと少し長く揺れました。一瞬、部屋のザワザワがピタリと止まり、部屋の中に居た数十人の人達の動きも止まりました。 動いているのは、部屋。壁。窓。録画をポーズしたときみたいに全部が静止するのではなく、人だけが静止、いえ、カタマッてました。

警戒音が鳴っても、館内放送でご注意くださいと前もって知らされていても、いざという時にはどうしたらいいのかわからなく、動けないものなんですね。もしかしたら、あわてて動くよりじっとして揺れがおさまるのを待ったほうが良いという判断が頭の隅にあるのかもしれません。

揺れがおさまると、部屋は止まり、人は動きだし、またザワザワ空間にもどりました。まるで、あの、人だけ止まるという不思議な時間はなかったかのように、仕事の続きをしました。 たしかに鳥取で地震があり被害もあるのだろうに、自分には被害が起こらないと無理やり信じようとしてる気がして、ちょっと後ろめたかったです。 

あの時の京都は震度3でした。

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