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2017年3月12日 (日)

よう見ときや。

草木や花の名前を私にたくさん教えてくれたのは、父でした。 

 

昨夏、息子のスマホを通して家の中にポケモンが居るのをのぞき、
「こ~んなもんが見られる時代にまで生きてられてよかった!」
と笑顔の父でした。
けれど、2回目の東京オリンピックも一緒に見てやぁという私の言葉には返事を濁していました。

 

もういつ命が終わってもおかしくない、と病院で宣告されてから3年ちかく生きていてくれました。最近は肺癌(余命約半年)も発覚。 さぞや恐ろしかったことかと。。。

 

あの朝、母からTEL。「おじいちゃんが救急車で搬送された。もうあと時間のモンダイらしい。」
看護師さんがTELを変わったようで「時間ではなく、分を争います。すぐ来てください!」

 

思いつくものを持って、車で病院へ。 

 

病院の中の一番良い個室で、朝着ていた服のまま、父はうなっていました。父のそばに寄ろうとすると弟が
「医者の話を聞きますか?ワタシはさっき聞きました!」

え?そんなのもうだいたいわかってる。直径10センチにも膨らんだ腹部大動脈が破裂したのだ。もう助からないのだ。最期の数分かもしれないのだ。もう生きた父には会えないかもしれないと思いながら車を運転してきたのだ。医者の話を今更聞く場合やないやろ。と、思ったが、父を見ると苦しんではいるが‘あと数分’ではないようだったので、とりあえず当直の医師のところへ。

 

話を聞くというよりも、医師に「生きる時間が短くなってもいいから、とにかく今の苦痛をやわらげてやってほしい。それは本人からも以前から何度も伝えられているから。」とお願いしました。

病室へもどると、父は「痛い痛い。だるい。しんどい。」と何度も訴えて(つぶやいて)いました。母・弟と3人で背中や腰をさすりました。痛み止めの薬を入れてもらったのですが、「なかなか効いてきぃひん。痛い痛い。」と父。

この時はまだ会話ができましたので、私は「ここ上等の部屋やでぇ。」とか「さっきな、室温が28℃やったわー。」とか「御池中学の横の桜はもう咲いてるらしい。」とか、父の気のまぎれるようなことを脈絡なく話し続けました。父は痛いだるいしんどいの合間に「へ~。」とか「ほんまか。」とかの相槌をうってくれました。 あんなにしんどい最中に「ああ、そうやって扇いくれたら気持ちいいわ。ありがとう。」と言うてくれました。 

母は難聴なので(補聴器は持ってきてなかった)父がなにか言うたび「今なんて言うてるん?」と聞きます。 私が大きな声で父の言った言葉を繰り返しました。

数時間後また痛み止めを。すると父は少しラクになったようで午後すこし眠り(?)ました。
弟が「ワタシは少し帰って休んできます。帰るなら今のうちやろ。母(呼びかける二人称でも弟はこう言う)も、いっぺん帰ってきたら?」と言い出したので、
えええぇぇー、分を争っていたのではなかったのかーと私は思ったのだけれど、母も「ほんなら補聴器と電話番号書いてある紙とケータイの充電器をとりに帰りたい。」と言い、交替で帰ることに。(これでよいのか?父は良くなったのではないんやで。)

夕方。痛み止め効果がきれてきたようで、また苦しみだしました。実家から父のパジャマも持ってきていたから、少しでも体がラクかと着替えさせました。「息が苦しい。ベッド(上半身)を上に傾けて。下に傾けて。あつい。」と訴え続け、体は冷たいのに汗をかき、だんだん肌が黄色くなっていきました。私はベッドを上に下にとリモコンを操作し続け、母は父の額に置いた濡れタオルを交換し続けました。

そのあたりで、夜の当直の医師が来られ、もう少し強い痛み止めをとお願いしてる間に、父が静かになり、見ると目の焦点が合わなくなっていました。痛み止めや酸素吸入が先だったのかもしれません。じっと私の顔を見ているようでしたが、たぶん見えてなかったんやろなぁ。

看護師の方が「最後までいきているのは聴覚ですから、話しかけてあげてください」と教えていただいたのですけど、なにを話していいのか。 母といっしょに、父がよくハーモニカで演奏していた曲を歌い続けました。「ふるさと」を歌ったときは、右手で弟の手をぎゅっとにぎり、なんと私がさすっていた右足が拍子をとるようにヒョンヒョンと動きました。何曲か歌ったころ、息をしなくなり、しばらくして、心臓も止まりました。

ああきょうは長い一日やったね痛かったねと、母が父に言いました。

夜の9時半でした。

人間が死ぬところをよう見ときや、ちゃんと見たか、と父が言った気がしました。父が、私に最期に教えてくれたのは、これなんやな。
うん。ちゃんと、見たで。

と、気持ちをかみしめる間もなく、死亡診断書は何通いりますか?どこの葬儀屋さんに来てもらうか決めておられますか?という話に。
「もいっぺん帰らなあかん。電話番号がわからへん」と母。
夕方とりに帰ったやん。
「あれはな、明日おじいちゃんと行くはずやった音楽会に行けへんからその連絡をせなあかんと思うて。」
したん、連絡?
「したよ。」

・・・・・。いつのまに。。。。
「じゃあワタシもいっしょに実家へ行きますpaper
と弟が言い出したから、父を置いて三人でこの場を離れたらあかんことを説得し、葬儀屋へ連絡するべくまた実家へと車を走らせたのでした。

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実   家」カテゴリの記事

コメント

よさこいっこさんへ_____。

ありがとう。
私も、いろんな初対面の方々から、父の別の顔を聞きました。
これから父は、こうしてたくさんの人達の心の中で‘生きて’いくのだなあと
思えます。
通夜や葬式に参加するということは、こういう思いを伝えることでもあるんですね。

チヌ太郎さんへ_____。 

ありがとう。
いろんな方々から、自分のからだを大切にと言葉をかけていただきます。
訃報を聞いたとき、今まで私はその当事者の方々へ、こんなしんどさをいたわる言葉をかけられなかったのだなぁと、知りました。
これも、父が教えてくれたことですね。

親を送るということ。
天国へ見送る時間の中でもまた親からの教えを受け取りますね。
私は父を見送って8年になりますが、
その時のことは、今でも、度々思い出します。
告別式に集まってくださった私の知らない父の友人たちから、
私の知らなかった父の素顔を知ったりもしました。
あ~、こんな面があった人だったんだ…みたいな。
私は亡くなってからの方が、父を身近に感じるようになりました。
これからきっとお父さんがすぐ近くで見守ってくださっていることを感じるでしょう。
ご冥福をお祈りします。

お父様のこと心よりお悔やみ申し上げます。
しばらく大変だと思いますが、お体に気を付けて下さい。

ヒロさんへ_____。

ほんとうにほんとうに、コメント、ありがとうございます。
父には悪いのですが、ここ数日、母と弟のややこしさで、うまくコトが運ばず、疲れてしまって悲しいどころではありませんでした。胸にいっぱい何かが詰まっているのに出せず、しんどかった。

コメントを読んで、初めて悲しむことができ、涙も出てきました。すこし、楽になりました。
ありがとう。

今日は、仕事に行ってきます。休んだ分だけ、来月の収入が減りますもん。 淡々と、すごします。

お父様がご逝去されたそうで、心よりお悔やみ申し上げます。
こんな時にコメントを入れるのもどうなのかとすごく悩んだのですが、これまで風さんがたくさんの大変な思い、ご苦労をされ、悩まれてきて、それでも気丈に明るく振る舞われて、僕も含めて沢山の方々の心の支えになっていました。
(風さんの本心も理解せず勝手にそう思っていただけかもしれませんが)

ありきたりの言葉になってしまいますが、どうかお心落とし無く、今は静かにゆっくり過ごしてお気持ちの整理をされて下さい。
失礼を承知でこんなコメントを書いてしまって、気分を害されたら大変申し訳ありません。

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