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2014年11月23日 (日)

教会へ_____。

夏以降、弟や父を見ていて思っていたことがあります。 

命や人生の危機に直面した時、信じるものがあるのとないのとでは大分と苦しさがちがうのだろうなぁ、って。

弟。 

気づけば知らない部屋でベッドに胴や手足を拘束されていると感じた時、逃げても逃げてもその部屋に引き戻された時、身体は快調なのになぜか病院から出られない今、心の中にひとつ信じられるものがあれば、大分と心の混乱を落ちつかせることができたのではないか、って。

父。 

手術してもしなくてももう自分の人生が残り少ないのだと気づいた時、心の中にひとつ頼れるものがあれば、その恐怖をやわらげることができるのじゃないか、って。 (けれど父は今、私の前では泰然としています。 その強さは、なににささえられているんでしょう。)

たとえば、宗教。 神とか仏とか。 手を合わせたり祈ってしまう なにか大きなもの。 Something  Great。


Photo_2

ところで私は今、頭や心は疲れておるのですが、体は運動不足。 なんでか時間があるので久しぶりの散歩を思いつきました。 万歩計と歩いてると教会が。 いえ。 実は前からすこし気になっていて、礼拝開始に間に合うよう、家を出て足を向けたんです。 どんなのかな? お寺や神社に身をおくのとどうちがうのでしょ? 

聖書と讃美歌の本など貸していただき、教会内へ。 

言葉と 音楽のシャワーと 初冬の陽をあびた、いい時間でした。

でもね。 讃美歌も聖書の言葉もわからないから‘着席見学’を決め込みました。 ちょっとヒンシュクかったかも。 最初の讃美歌は胸に沁み、思わず拍手するところでした。 これじゃぁ、、、舞台観ている観客ですねcoldsweats01。 

今よりもっと心の居どころがくずれたら、また行くかもしれないなぁ。

神の愛は「でも」の愛なのだそうです。私の表も裏も全てご存知の上で、それでも私を愛して下さる愛なのだそうです。

心の在りようを見つめていこうかなぁと思った朝でしたーhappy01

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